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3月6日 ホットな名古屋の話題③-トリプル投票・その3 議員報酬を巡って

 まず最初に。高生研&全生研KINKI(3月5~6日)。すでに田中さんがかかれたように、大盛況でした。200人も集まったんですね。年齢層もぐっと若返った感じ。中身も充実していて、特にシンポジウム「先生、私の生きづらさが見えますか」は、小中は京生研の細田さんと藤木さん、高は千代田の嵯峨山さんと、名うての実践家の話に、具体的で的確かつ愛情あふれるまなざしでで取り組んでいるスクールソーシャルワーカーの大塚さん、朝日新聞の中塚さんお二人がからみ、それを和歌山大の船越さんが見事にコーディネート。これ出なかった人、損しましたよ。交流会も良かったですねえ。大阪の文チャ化ちゃんぷる~ず、大阪大会の時以上にパワーに充ち満ちていましたねえ。司会の3人いいですね。若さいっぱい。岸田さん、田中さんを初め、近畿の皆さん、そして全生研の皆さん、本当にご苦労様でした。次は12~13日の東海ブロックゼミです。こちらもよろしくっ。

 つぎはお詫びです。前回(2月20日)の最後に、「次回は3月13日」と書きましたが、私の勘違いで本日書きます。

 ここから本論。前回この欄で、愛知県知事選・名古屋市長選・名古屋市議会解散の住民投票、いわゆるトリプル投票で、河村陣営の圧勝について書きました。それによって、3月13日(東海ブロックゼミの日)に名古屋市議選(4月10日には一斉地方選で愛知県議選)が行われることになりました。ちなみに解散がなくても市議選は4月10日に行われることになっていて、1カ月早めたことで3億2000万円の経費が余分にかかると言います。なお河村市長は、4年間の減税額は900億でそれを否決した市議会の解散だから3億がもったいないということはない、と言っています。(1月24日付中日。以下同じ)

 さて、これまでお伝えしてきたように、河村-大村陣営の公約の中心は「議員報酬半減」、「恒久減税」、「中京都構想」で、前回は「減税」に焦点を当てましたが、今回は「議員報酬」について考えてみます。

 トリプル投票の1つ、市議会解散の住民投票について、世論調査では解散賛成61%(実際の投票では72%)で、その理由として「民意を反映する議会になっていない」41%、「議員の報酬が高すぎる」26%、「議会は何をしているか分からない」18%でした。(12月27日付)つまり、議員報酬削減が第一の理由じゃなかったんですね。

 政令指定都市の議員報酬がどれくらいかを見てみると(市(人口)年額報酬の順)(1月30日付)

 横浜 (367万人)1630万円

 大阪 (266万人)1565万円(条例額から月5%削減)

 名古屋(225万人)1393万円(条例額から月20万円削減)

 神戸 (153万人)1551万円(条例額から月5%削減)

 京都 (146万人)1505万円

 名古屋は、条例額では年1633万円ですが、月20万円ずつ削減したことで1393万円となり、その結果、他市に比べ額は低くなっています。つまり、今回の議員報酬問題は他市との比較で起きた問題ではないことがこれでも分かります。

解散賛成の他の二つの理由にしても、特に解散しなければならないほどの理由か、疑問です。名古屋市議会が他市と比べて特に不透明というわけでもないでしょうし、世論調査の選択肢にすらないように、市議会に何か落ち度があったわけでもありません。でも解散は決まった。

 なお議員には報酬以外に、最大で月50万円の政務調査費が会派を通して支給されます。これは市政の課題を調べるための費用や会報を作る経費などに充てられますが、後援会や政党の活動費は支給の対象外で、それらは議員報酬から支払うのが一般的です。

 河村市長の公約は議員報酬を800万円に減額するというもので、3月13日の市議選での焦点になるはずでした。「なるはずでした」いうのは、住民投票後、民主が半減に賛成、自民が半減も含め削減を検討、共産が半減も含め第三者機関で決定と、各党が次々に800万円を視野に入れた方向で動き始めたからです(公明は11月議会で半減を容認)。

 では、市民はどう考えているのでしょうか。世論調査によると、(1月31日付)

 半減は極端だがある程度は減らすべきだ 53%、半減すべきだ 20%、第三者機関で決めた額を尊重すべきだ 17%、減らす必要はない 5%、分からない・無回答・その他 5%

 つまり、半減はいくら何でもやりすぎ、と考える人が一番多いのです。

 では、議員報酬はどのような考え方のもとで決められているのでしょうか。それについての新聞報道は、私が見た範囲ではありませんでした。そこで私なりに考えてみました。

 1つは、議員としての生活を保障する、あるいは仕事量に見合ったものにすると同時に、一般市民にはない経費(たとえば政務調査費で認められていない費用)を上乗せするというものです。これが一般的な考え方でしょうか。どの程度をもって生活保障をしていると言えるのか、仕事量はどの程度かというのは意見の分かれるところですが、この部分を無視してはいけないでしょう。生活保障に足るものでないと、他に副業とか資産のある人以外は議員になれなくなってしまうからです。

 2つめは、1つめの費用に、「やりたい」という希望者を引き出すためのインセンティブを加えるというものです。最近プロ野球選手の契約更改でインセンティブが盛んに持ち出されていますが、一般の企業でも、たとえば有能な人材を引き抜く時とか初任給で他社との違いをアピールするという時の上積みなんかも、考え方としてはインセンティブだと思います。教員特別手当だってそうでしょう。それがいいかどうかは別として、そういった考え方は現実にありえると思います。

 3つめとして、以上とは別の視点で、一人の議員を支えるのに一人の市民はいくらぐらいの負担になるか、という視点から考えることもできると思います。

 名古屋の有権者は約180万人、市議会定数は75です。つまり、1人の議員を24000人の有権者が支えていることになります。もしこれらの有権者が500円ずつ拠出したとすると1200万円になります。333円にすると800万円、667円なら1600万円になります。そうすると「オレは300円しか出す気がしない」のか「私は600円出してもいいよ」なのかの違い、と考えることもできます。(選挙権のない人のことも考えないといけないと思いますが、ここでは単純化して言いました)

 私の考えたのは以上ですが、きっと経済学ではもっとちゃんとした理論があるのだと思います。もし知っている人がいたら教えて下さい。

ともかくこのように、議員報酬はいくらが妥当かを決めようとしても、そう簡単ではないことがわかります。しかし、新聞報道を見る限りでは、このような議論があったようには見えません。河村市長は800万円は「市民並みの給与」(1月22日付)で「議員の家業・指定席化をストップ」(2月7日付)するためと言っています。800万円なら世襲議員もなくなるだろう、本当にやる気のあるものだけが立候補するだろう、というわけです。自らも、「市長の独裁」という批判に答えて、「800万円の独裁者がどこにいるのか」(2月7日付)と言っています。私の見た範囲では800万円の根拠は、この「市民並み」と「家業化防止」だけです。

 こうしてみると、この「市民並み」ということに名古屋市民は惹かれたのではないかと考えられます。資料をもとにしてなくて申し訳ありませんが、収入額で、最も多い層は、400万~600万円ぐらいではないかと思います(違っていたら訂正お願いします)。だとしたら、市民「感覚」からみて「800万円ならまあいいか」と考える人が一定数いて、それに前述したように諸経費やインセンティブを上乗せして「1000万円ぐらいでもいいんじゃない?」と考える人が最も多い、そのようにアンケート結果は読めるのではないかと思います。

 この報酬問題を通して私が考えたことをいくつか述べます。

 一つは、もし800万円が可決されたとしたら、「その後こんなこと起きなければいいのにな」という心配事です。

 真っ先に心配されるのは、他市や県の議員報酬の削減です。「名古屋でやれたものが、何故うちではできないのか」という世論は必ず起きるでしょう。

 次に「市会議員ですら800万円なのに、一般の公務員にそれより多い者がいるとは何事か」と公務員バッシングが強まるでしょう。

 するとそれに連動して、「公務員給与が削減されたので、うちの会社でも給料を減らす」、さらに「正規社員が減らされたのに、非正規がこんなに貰ってどうする」というように、ドミノ倒しのように給料のダンピングが起きることが懸念されます。つまり、減額を支持していた人たちに給料減が降りかかってくる、そんなことも考えられるのではないでしょうか。

 そんなバカなと思われるかもしれませんが、給料は他の業種・職種・企業との比較の中で決まる要素が強くあります。たとえば、私は、京都府にいたときは組合交渉で府側から民間との比較で減らさざるを得ないという回答を聞いていたのですが、今度私立に来たら理事側から公務員との比較で回答が出されるのです。これではまるで「矛盾(ほこたて)対決」だ。

 2つめは、みんながみんな、「800万円へ」「800万円へ」と流れていくことに薄気味悪さを感じることです。「800万円」と言わないと選挙に勝てない、だから本当はそう思っていなくても「800万円」と言う。いくら市民の声といえども、上記(が的を射ているとすればですが)のように、市民「感覚」で「800万」あるいは「800万+α」と言っているわけで、妥当性が必ずしも担保されたものではありません。

 さらに、前述のように解散賛成の理由で「報酬が高すぎる」は26%しかなかったのに、いつの間にか「800万」と言わなければ当選できないみたいな風潮になってしまっている。

 市議会リコール署名は何と38万も集まりました。いくら市長主導の署名といえども、これだけ集まるというのは、非常に大きな市民運動であったと言ってもいいと思います。しかし市民運動というのは本来多様な意見、少数の意見を多くの人に理解してほしいとか政治に反映してほしいということで行われるものでしょう。それが、いつのまにか特定の方向に雪崩が起きたように進み、他の意見が許されないような風潮になるというのでは、市民社会のあり方としても「?」ではないかと思うのですが、いかがでしょうか。(もっとも、運動した人たちに責任はないのですが)

 3つめは、長引く不況の中、低賃金で、あるいは失職して苦しんでいる人からすれば「千数百万も貰うなんて」「800万でも高い」と、困難打開のための矛先が議員報酬に向けられたものだとしたら、やっぱりそれは違うだろう、ということです。

 不況といえども、ケタ外れに儲けている人がいる(堤美果さんの『貧困大国アメリカⅡ』を読んでビックリ。日本でもそれに近いことがあるんじゃないかな)とか、ほとんど名ばかりの委員に高額の報酬が支払われるとか。

 だが、その人たちは一般からは見えない(これは、2月26日に行われた愛生研の学習会で宮本誠貴さんがされた話のパクリです。なお宮本さんの話はとても興味深いもので、近いうちにまとめたいと思っています)。だから目に見える人に矛先が向く、になってはいないかということです。

 そして最後に、今回の選挙を通じて、私は情報を持っている者の責任の重さを感じました。

 私はかなり丹念に新聞記事を読んだつもりですが、それでも各候補の違いがはっきり分かったわけではありません。その原因の一つとして、これは市民運動の成果と言っていいと思いますが、どの候補も福祉・教育といったことに一定の公約を打ち出していることがあります。事実、河村市長は当選してすぐに、10月から中学生の全医療費無料化(これは各会派の要望でもあった)や、否決された減税分を保育所定員1300人増に充てることを決めたりしました(いずれも2月19日付)。

 違いが見えにくいということは、明らかな違いのあることが争点になるということでもあります。それが今回では減税と議員報酬だったわけです。そのため市民としてはそれしか判断材料がなかったとも言えます。

 ところが丁寧に見ていくとやはり違いはあります。たとえばTPPへの態度は明確に違っていました。(1月27付。ただし知事選で)TPPは市政県政との関連が見えづらいので、選挙報道としては取り上げにくいかもしれませんが、その候補者や支持政党の政治姿勢を背景にしているということから見て、個々の公約以上に市政県政に与える影響は大きいものがあるとも言えます。

 だとすると、情報を持つ者としてのマスコミの責任は、ただ情報を提供すればいいというものではなく、市民生活の文脈に反映できるように提示するとか、その情報の持つ意味とかその情報から予測される将来像を様々な角度から検証したり、様々な立場からの議論を喚起したりすることで、市民の判断を促すことではないか、と思うのです。(もちろん努力していると思いますが)

 翻って我々教育に携わる者も、生徒に比べ圧倒的に多量の情報を持つ者の責任として、単なる情報提供だけの授業をやっているようではダメだ、ということでしょう。

 「分かる」という言葉はもともと「分ける」から来ています。つまり「分かる」とは、提示された情報を単に覚えることではなく、その情報の持つ意味を考える、生活文脈や将来像と結びつけられる、そして類似した情報との弁別ができる、こういったことができて初めて「分かった」と言えるわけです。それこそが我々高生研を含め民間教育運動に携わる者が追求してきたテーマでしょう。そしてそれは、例えばA候補とB候補の違いが分かるというように、政治的素養を育てることにもつながるのではないか。そんなことを思いました。

長文ですみませんでした。   久田晴生

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