大阪高生研の西村です。いよいよ全国大会が近づいて参りました。駄文を連ねたこのシリーズも今日で終わりです。私が参加した全国大会の半分も書けませんでした。1999年以降の大会のことはまた書く機会が巡って来るやも知れませんので、本日は1998大阪大会のことに絞って書きたいと思います。
この大会をあえて客観的に見れば、さして開催場所のロケーションが良かったわけでもなく、ホテルのアメニティや飯がうまかったわけでもなく、エキサイティングな議論があったわけでもなく、ごく平凡な大会だったろうと思います。しいて良かった点をあげれば、前後の大会に比べて参加者が多かったことでしょうか。でも、私の気持ちの中では、歴代の全国大会の充足度を折れ線グラフで書けば、主要国における日本の国債発行額/国家予算(まどろっこしい比喩でごめんなさい)のように、ダントツで跳ね上がるのです。
あの高揚感は何だったのか?それは文化祭で生徒が燃えるのといっしょで、自分が主体的に取り組んだ証なのでしょう。2年前から始めた準備、自分がチーフとして取り組んだ劇と太鼓の文化行事、分科会にも出ずに売り歩いたビール、眠らずに考え続けた別れの集いの出し物、会場での仕事が済んだ後の2トントラックでの書籍の返却等々、すべてが充実していました。振り返った50余年の人生の中でも、とくに光り輝く時間でした。
こんな経験ができる高生研を、全国大会を失くしてはならないという思いで、新高生研の立ち上げのお手伝いを微力ながらさせていただいております。またどこかの地域で全国大会が開催された折り、取り組んだ人々の胸にさまざまな思いがきざまれる、という営みが今後も長く続きますよう祈念して、このシリーズを結びたいと思います。(おわり)