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「わたしは、ダニエル・ブレイク か?」その2 社会的障壁

堂々庵

イギリスの社会保障制度について詳しくは知りませんが、日本と同等かそれ以上の制度があるのではないでしょうか。しかし、映画ではその制度がよく分かりません。というか制度が有効に運用されているようには見えません。前回も書きましたが医者から仕事を止められたことで国の援助を受けようとしたダニエル。役所での会話はこれぞ「お役所仕事」と見るものに憤懣を買う冷たい機械的な対応です。マニュアル化された対応を委託された機関が落ち度のないように進めていきます。役所から自宅に帰ったダニエルは、家の軒先に分別されず放置された生ゴミのことで隣の若い住人に小言を言います。渋々ゴミを片付ける隣人の対応に映画の観衆は人としての応答を見るのではないでしょうか。

私は、教師の仕事をしているとき前段の役所の係員みたいなことはないだろうかと考えてしまいました。すぐに「あんなことはない!」と自答するのですが、少し後ろ髪を引かれました。

ダニエルにせめてもの応対をしようとする係員に、役所の上司は「特別扱いしてはダメ。」と例外なき対応を求めます。ダニエルは「君にまで迷惑をかけた。」と人の身を案じていました。

さて、誰がここにある社会的な壁を作っているのでしょうか。

パソコンでしょうか、国でしょうか、役所でしょうか、係員?上司?それとも、理解する側?あるいはその数?

どれも絡み合って最後には応答不能状態に陥っているように思います。決して1人の人間がやっていることではなく社会がそんな様相になっている状態。なんか我々の周りにも似たようなことが見え隠れしているように思えてなりません。

そんな映画の中で、ダニエルはその絡みを「なんとかせないかんやろ!」と声を上げるわけです。「もう我慢できない!」と。
その3につづく

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