久田晴生
高生研の意義について、今私が思っていることを何回かに分けて書きたいと思う。最近、全生研のあるサークル例会に参加したときのことである。若い女性教師Aさんから近況が報告された。今彼女は休職中という。自身の家庭内でのトラブルと学校内の強権的な指導に直面したことで、精神的にダウンした。例会では参加者から様々な意見が出され、彼女は随分スッキリしたようで、次回の例会にも出席することを約束してくれた。これは全生研でのことだが、高生研も同様である。
今学校現場で一般化している強権的な指導に疑問を持ちながら、やっとの思いで教師生活を続けている人たちが大勢いる。昨年の大阪大会・問題別分科会「なめられる教師…」に多くの参加者があった。一昨年のつくば大会・交流会でもそうだった。今度の全国フォーラム(5月7~8日、東京)ではこの第3弾とも言うべきシンポジウムが開かれる。「やっとの思いで教師生活を続けている人」に寄り添い、声を拾い、つなげ、教育のあるべき姿を構想し、実践の可能性を切りひらいていく。そこに、今の高生研の意義と課題の1つ(それも大きな)があると思う。