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一般分科会6「『原発神話』を考える国語の授業」 久野里信夫さん のPR

 原発問題を国語の授業で取り上げた実践である。「原発神話」とは、原発に対して無反省に持ってしまっている印象・情報のことだと思うが、久野里さんは生徒たちの受け止め方にも「神話」的なものを感じたのだろう。久野里さんが取り上げる教材は、1957年の菊村到「原子の火ともる」、1975年の前川力「原子炉が爆発しないのはなぜか」、『メルトダウン』(NHK)、堀江邦夫の『フィアンセ』、溝口健二の『1977年6月』など。「原子の火ともる」は、東海村での実験用原子炉の点火がスタートしたことを、未来への希望と期待を込めて書かれたもの。「原子炉が爆発しないのはなぜか」は、原爆と原発との違いや原発の安全設計について解説したものである。
生徒たちの原発に対する意見は賛否両論ある。しかし、福島第一原発事故を知っている今の生徒たちからすれば、1957年の原子力に対する期待が「楽観」であり、1975年での安全設計への信頼が「神話」だったことは共通して感じていたようだ。「原子の火ともる」に対しては、「筆者はこの時点で原発に危険性を考えていなかったのか」という疑問がおこり、「原子炉が爆発しないのはなぜか」に対しては「前川さんの言うていることは、ちょっとおかしい」「事実と違う」という声が出ている。久野里実践が育てているものは、原発の情報・知識に対する可謬主義的な向き合い方なのかもしれない。
それ以外にも『フィアンセ』の読み込みや、そもそも原発問題などの政治テーマを国語で取り扱う意味・意義など、議論したいことはたくさんある。分科会参加者がどのように分析するのか楽しみである。                      (岡村昭弘)

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