みなさんが空路で来阪されるなら関空か伊丹、希に神戸空港に到着するだろう。ご存じのように、大阪には関空・伊丹(でも、大部分は兵庫県です)の2つの大きな飛行場(空港)がある。が、実はもう1か所、東大阪の南に隣接する八尾にも小さな飛行場があるのをご存じだろうか。うちの首長がここにオスプレイを持ってくると言って、地元住民(この首長は八尾出身です)から総スカンを食ったのは大阪では有名な話。
ところで、戦時中には東大阪の北にも盾津(たてつ)飛行場という陸軍の飛行場があった。“盾津”という地名は、いまの日本の象徴である家系の祖先が西から攻めてきたときに、「河内うみ」で遭難しかけ、盾を海に投げて荒波を鎮めたという故事に由来するらしい。が、“盾津”あたりの歴史はせいぜい戦国時代までしか遡ることはできない。なぜ、そんなに詳しいかというと、筆者が盾津出身だからである。現在勤めているかわち野高校は、統廃合で新しい名前になる前は“盾津高校”と言った。高校前の東南東から西北西に走る道路は、もとは盾津飛行場の滑走路で、東南東のドン詰まり、飛行機の格納庫があったところに現在は盾津中学校(筆者の出身中学)がある。私の中学時代は終戦から23~5年ほどたっていたが、グランドから長さ10センチほどの鉄砲の弾が見つかったりした。この盾津飛行場で操縦の訓練を受けて、特攻に駆り出された若者もいたという。城東商業(全国大会会場、大阪商業大学の前進)のグライダー部が、この飛行場でよく練習をしていたらしい。(つづく。西村康悦)