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静岡市内のお気軽日帰りハイキングコースをご紹介します!

高生研静岡大会に参加を検討されているみなさんへ、耳寄りな情報です。
学習の後、頭も心もリフレッシュさせてみたらいかがでしょうか。
静岡市には、運動にもなり、古跡にも触れる日帰りハイキングコースがいくつもあります。
ぜひお試しください。

1 賤機山縦走コース
山頂の茶畑・みかん畑を縦走する道なので、やや分かりにくいかもしれない。徳川家康が今川家の人質だった少年時代に修行した臨済寺の上を通り、静岡人には「浅間さん」と呼ばれる浅間神社に出るが、神社の反対側に出て美肌(びじん)湯という温泉につかるのが最高だ。

2 梶原山・帆掛山コース
鎌倉幕府を開いた源頼朝の右腕と呼ばれた梶原景時一族が自決した山。死を前にして鬢を洗った泉跡もある。
3 日本平コース
草薙から登る道と舞台芸術公園から登る道の二つがある。景色のよい日本平に登ったら、ついでにローブウェイに乗って久能山東照宮を参拝し、長い階段を降りて「いちご海岸」に出、バスで静岡駅へもどることもできる。
4 朝鮮岩・満観峰コース
満観峰は地元の有名なハイキングコースで、いつも家族連れなどでにぎわう。満観峰と呼ばれるだけあって山頂は景色がよい。ちょっと離れたところにヤマトタケルも通ったという日本坂がある。
5 だいらぼうコース
「だいだらぼっち」の左足跡だという広大な(150メートル)、景色のよい広場が山頂直下にある。
6 谷津山コース
ここはハイキングというほどもないコースだが、近くの沓谷霊園には関東大震災のときに甘粕正彦憲兵大尉たちに虐殺されたアナキストの大杉栄と伊藤野枝と甥の橘宗一(当時満6歳)の墓がある。
7 蔦の細道・宇津ノ谷峠コース
「伊勢物語」にも出てくる山中の古道をゆく。神霊スポットのような明治時代のトンネルがある。

静岡高生研 谷峰夫

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「わたしは、ダニエル・ブレイク か?」その1 パソコンの壁

堂々庵

先日、『わたしは、ダニエル・ブレイク』という映画を観ました。このことを期に応援ブログ記事を連載執筆(半月に一度ほど書くつもり)する決意をしました。

主人公はダニエル・ブレイク。イギリス北東部ニューカッスルで大工として働く59歳のダニエルは、心臓の病を患い医者から仕事を止められます。国の援助を受けようとしますが、複雑な制度が立ちふさがり必要な援助を受けることが出来ません。
手続きをするのにパソコンを操作して申請書をダウンロードしなければならないのですが、ダニエルは「マウスを動かして」という説明を聞いてもモニター画面の前にマウスを近づけようとして苦笑されます。やっとの思いで「OK」ボタンをクリックしてもエラー。そうこうするうちにパソコンがフリーズ。「誰か解凍してくれ!」「今までの時間が水の泡だ」とダニエルは頭を抱えてため息をつきます。

同じような経験、このような焦燥感を味わった方は共感してしまうのではないでしょうか。昨今の教育現場でも何かと手続きにパソコン操作を強いられることがあります。特に「ログイン名」入力と「パスワード」の入力をパソコンが初見で求めてくる時は頭が混乱してきます。これが出てくると中にはアレルギー反応を示す人も居るのではないでしょうか。
そもそもパソコンという「繋がらなければ」意味がないものに、「簡単に繋がらない」仕組みが必要(不正なアクセスによって情報が盗まれないよう)になったことによって構築された「取り決め」でしかありません。

(ここから先、ちょっと専門用語が入るので難しくなったらごめんなさい)

わたしは昔(20代の頃)、Macのパソコンで画像や映像をいじることを夢見てました。そのころはMacのコンピュータは数十万する代物でとうてい手が出ません。なんとか手が届くところにwindowsのパソコンがありました。次に、わたしはMacとwindowsとの互換性について考えるようになりました。「windowsで作ったファイルを将来Macでいじれるようにならないか!?」と。
こう考えること自体が特殊なのかどうか分かりませんが、市場原理としても同じような力が働いていたようで、今ではほぼどちらのOS(MacOSとかwindowsといったプログラムが動く基幹ソフト)上で作成されたファイル(文書や画像、映像)も互いに読み書き可能になっています。
「コンピューターやOSの設計者や企業はわざと互換性を持たせないようにしている!」とか、「『管理者権限』とか『SE(システムエンジニア)』なんてコンピューターの運用面で『独裁者』でしかない!」と考えました。
今回観た映画とは別の所で、わたしは「『繋がらなければ』意味がないものに、『簡単に繋がらない』仕組みが必要になったことによって構築された『取り決め』」について考えていたのでした。そのことが今回の執筆踏み切らせた切っ掛けです。一言で言えばディ
スコミュニケーション(dis-communication)。暴力に匹敵する内容かも知れません。
その2につづく

参考)『わたしは、ダニエル・ブレイク』2016年作品、100分、ケン・ローチ監督。
http://danielblake.jp/

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今年の夏、第55回高生研全国大会、静岡で会いましょう!

静岡高生研・代表  絹村俊明

 高生研の元代表で沼津市立高校にご退職まで勤務されていた故鞠川了諦先生や竹内常一先生が中心になって高生研が発足したのは1962年でした。その年の第1回比叡山大会から、高生研の全国大会は、今年の静岡大会で55回目を数えます。この間、静岡高生研が全国大会現地開催をしたのは全部で4回あります。最初が、第5回・伊豆長岡大会(1967年)、2回目が第15回伊豆長岡大会(1977年)、3回目が第27回修善寺大会(1989年)、そして前回が、第42回大仁大会(2004年)でした。そして今年、2017年、5回目となる第55回大会が静岡市で行われることになりました。

こうしてみると、10年から13年の間隔を置いて、静岡高生研は全国大会の現地を担ってきました。それも毎回、「他にやるところがないので是非静岡で」と全国から請われての開催でした。今回もご多分に漏れず、開催予定であった他県の都合で静岡にお声がかかったという状況です。

しかし、開催の発端は受け身でも、準備の過程を通じて全国大会開催を静岡高生研の発展のために意義づけなおし、かつ楽しんでしまうのが静岡高生研。27回大会は、若干32歳の若造の私が事務局長として担がれ周囲の沢山の諸先輩の助けでなんとか成功させることができました。総会で「参加者が402名になりました!」と叫んだ当時の沼田書記局長のうれしそうな顔が目に焼き付いています。その時につくったのが「誰でもができる行事づくり」という冊子。当時の静岡高生研の実践の結集であったと記憶しています。

42回大会は、当時事務局長の三好さんの獅子奮迅の活躍で、これまた記憶に残る大会になりました。「静岡発!高生研のつくり方」という冊子をつくり、原則的な静岡高生研の研究活動を全国に紹介できたこと、また、歴史的に貴重な「沼津コンビナート闘争」を朗読劇にできたことは今でも誇らしく思います。

さて、5回目の静岡大会にはどんな見どころ、学びどころがあるのでしょうか。私のほうからは、まず全体会のオープニングの出し物についてご紹介したいと思います。

今年の基調発題は、静岡を代表する実践家のひとり、前田浪江さんによる「なめられる教師」発の「ケアと自治」にかかわる内容です。オープニングでは、その基調に引用される前田実践の「サルになったSくん」の寸劇を上演します。寸劇をご覧になって、そのまま基調討論に移行するという流れで、全体会が、「文化」と「学び」が融合するような構成になっています。すごいでしょ?

その他の見どころ、学びどころなどについては他の方々からのメッセージを待つことにして、静岡高生研は、県内サークルに集う仲間や、その同僚の方たちを巻き込みながら、みんなでわいわいと楽しくやれたら、、そして全国大会後も全国や県内のサークル活動が益々活発になればな、と期待しています。

  みなさん、高生研第55回全国大会に職場のみなさんお誘いあわせの上、是非ご参加ください。静岡高生研一同、皆さんと静岡でお会いできることを心よりお待ち申しあげております。