カテゴリー: 一般分科会PR

一般分科会2 [通信制] 理想の学校への歩み~通信制高校での実践

全日制に勤務されている教職員のみなさんは「通信制高校」(特に広域通信制)にどのようなイメージを持っておられるだろうか? 退職してしばらくたつ私(福永)は定時制勤務が勤続年数の半分以上を占めることもあって、全日制プロパーの方々より通信制高校には好意的な評価をしていたつもりだが、それでも「高校教育の最後の砦」(定時制を辞めた生徒を受け入れてくれる学校)といったいささか短絡的な見方をしていたことは否めない。だが、ここ数年間の清田・丸内両氏との関わりの中で「通信制高校の中に理想の学校があるのではないか」という新たな視点が私の胸中に培われているのも事実である。
清田さんは、熊本市にある通信制高校に勤務されている60代前半の教員であり、丸内さんはその高校の卒業生で現在大学4年生、清田さんの教え子とのこと。両者とも熊本高生研の事務局員として、毎月の学習会(事務局会)では積極的に発言し、「ベテランと最若手の視点」から研究会になくてはならないメンバーとなっている。このレポートは、大きく「教師編」と「生徒編」の二つに分かれており、「理想の学校づくり」に取り組んだ軌跡を詳細に報告している。
もちろん「教師編」と「生徒編」は、本実践の「コインの裏表」である。清田さんは「教師編」の冒頭で、2018年度卒業式の答辞を「通信制高校への偏見が社会の中に顕著に見られ、それを変えてほしい」というメッセージとして捉えたと語る。そしてそのメッセージに心を動かされた後輩たちが、翌年、他の通信制高校に呼びかけ「くまもと通信制高校等スポーツフェスティバル」を立ち上げた(その際、実行委員として関わり、2020年の第2回フェスの実行委員長となるのが丸内さん)。さらに清田さんは「地元紙への投稿」等を通じ、通信制や不登校の現状と課題(さらに展望)を記し、最後に「理想の学校は、風通しの良い学校」と(一応の)結論を述べている。また、丸内さんは「生徒編」で、「なぜ不登校経験者であった自分が通信制高校では主体的に行動できるようになったのか」を率直に述べ、生徒会役員として、イベント実行委員(長)として、どのように取り組んでいったのかを(悩みや挫折も含め)記している。
もう一人の運営責任者(と二人の報告者)とさらに打ち合わせは必要だが、論点(討議の柱)として2点を示す。①清田・丸内の「理想の学校づくり」への評価、②あなたの勤務校での「理想の学校づくり」とは何か、である。「通信制高校の中に理想の学校があるのではないか」という私の疑問(確信?)を崩壊あるいは補強させるような学びを、ぜひこの分科会で体験してもらいたい。そして「教師と教え子が共に作り上げた実践」を論議する分科会として、学び甲斐のある3時間となるよう微力を尽くしたい。      

一般分科会のお勧め・推しポイント

日本全国、暑い日が続いています。
今年は熊本での全国大会

是非、皆さん、ご参加を。

今日から、一般分科会の概要をこちらの応援ブログに掲載します。(全国会員通信から抜粋しました)

一般分科会1[ HR ] 「単位制高校1年生 初担任の取り組み  

小川による実践記録からは、教師にとっての無念と希望が読み取れる。飾らない言葉で、細かな点まで記録されている文章全体を眺めてみると、初担任としての初々しさやたくましさだけでなく、教師としての鋭い観察眼も兼ね備えていると感じられるだろう。
実践の前半部は主に小川が直面した困難や無念さが伝わる内容となっている。単位制高校であるという制度の特性上、生徒らがHR等で交流することができる時間は少ない。小川は「帰ってきてホッとする、安心できる場所」にしたいという願いをもって、意気揚々とHR実践に取り組みはじめる。
そんな中、田中という生徒が長期にわたり欠席を繰り返すようになる。小川は田中の家庭訪問に行きたいと早急に校内の教員らに働きかけるが、そこである困難に直面する。それは、「そこまでしなくていい」というような、生徒へ対するあきらめともとれるような教員らによるまなざしと、空気である。小川はそれに臆することなく、またのまれることもなく、したたかに田中のために、関係する教員らに働きかけ続けた。また、大人だけではなく、HRの田中と関係性がある生徒らにも働きかけ、田中が学校に来やすくなるよう工夫をしていた。幾何の困難を乗り越え、家庭訪問が実現するも、そこには疲れた表情で変わり果てた田中の姿があった。「学校に行きたい」という思いをにじませつつ、ヤングケアラーとして家に縛り付けられているようにも見える田中であった。最終的に田中は退学することとなってしまう。最後に小川が田中の母に伝えた言葉からは、田中に対する小川の思いがあふれている。
後半部からは、トラブルを経験しながらも小川とかかわる生徒らが文化祭に取り組む様子が記されている。大島はかつて不登校となり、過年度生として転入してきた生徒である。大島は、あるトラブルをきっかけに学校に行きたくなくなってしまう。小川は、この状況を打破するべく、恩師から助言をもらいながら生徒にかかわっていく。当事者らを巻き込んで話し合いの機会を設けた結果、険悪な関係にあったようにみえた者同士は関係性が改善したかのようにみえた。しかし、大島は友だちを心の底から信頼できていないことがわかる。そんな中、文化祭準備がはじまる。小川は文化祭準備が停滞する様子を見ながらも、むやみに介入したり、誘導したりしない。生徒の変化の機微を見逃すことなく、言葉をかけながら生徒が立ち上がってくるまでどっしりと構えている。何とか文化祭を満足するものに仕上げられたものの、そこで得られたものは何だったのだろうか。HRといった集団が事実上無いともいえる学校での希望や、教師としての無念さについて、大いに議論し、共に考えていきたい。