カテゴリー: 一般分科会PR

一般分科会7 [ HR ] 1年間の担任を振り返って

報告者の鳥海さんは、工業科で機械を専門とする初任4年目の教師です。『高校生活指導』の一読者として高生研と出会い、2023年の東京大会では現地実行委員として交流会を企画するなど活躍されてきました。分科会で報告するのは今回がはじめてで、実践記録を書こうと思った動機の一つとして、「担任3年目、最終学年まで持ちあがってきた今、これまでの実践を振り返りたい」という思いを聞かせてくれました。この報告のなかでは、昨年の2学年を担任していたときのことがメインに書かれていますが、さらに時を遡って聴きたくなるような実践を担任1年目から重ねてきました。そんな期待を抱かせる鳥海実践の魅力をいくつか挙げていきます。
魅力その① 生徒に注がれるまなざしの温かさ、柔らかさ
 実践記録は、まず勤務校の持つ特色にはじまり、次に生徒像を描いていきますが、学力や生活態度、発達における課題を挙げながらも、目の前の生徒への愛おしさが言葉の端々に溢れています。実際の場面では、この実践の中心人物でもあるリンという生徒と保健室のストーブの前で地べたに座って話をするなど、鳥海さんが無意識にとる行動にも表れています。そのまなざしは、一方通行の慈悲的なものではありません。リンとのやりとりを通して彼女の見ている世界を捉え、鳥海さんがリンの周辺の人間関係を読み替え、さらにはクラスの生徒たちがリンに向けるまなざしをも変えていく出来事につながっていきます。
魅力その② 普遍的な問いを深められる
鳥海さんの書いたリーフレットの紹介文に、「この1年間にどんな意味があったのか、より実践を深めるにはどうしたらいいのか。参加者の皆様と考えたい」とあることから、実践を振り返ったときに納得のいく指導もあれば、「あのときどうすればよかったのだろう」と思う場面もあったのだろうと想像します。この実践ではもう一人、とあるきっかけでカッとなり、ナイフを向けてしまった生徒が登場します。このときの担任としての対応については大いに議論したいところです。
魅力その③ 実践の舞台であるT高校
 戦前の昭和初期に開講した工業学校を母体に持つT高校。近年は定員割れがありながらも、学校斡旋で就職する生徒が7割を占めていることから、学校が生徒の進路保障と地域で求められる人材育成の両方を担っていることがわかります。近年、DXハイスクールやSTEAM教育、普通科改革など、少ない教育予算をエリート育成にあてるための競争システムに翻弄され、教師と生徒の他愛もない日常が奪われている学校現場が多いなか、T高校のようないわゆる “ふつうの”工業高校のHR実践はある意味で貴重。これから教師生活を送ろうという人も、もう十分に味わったという人も、幅広い属性や年齢層の参加者と共に、鳥海実践を通して学び合いたいと思います。

一般分科会6 [不登校] 「親の会」での親と教員の学び及び運営の在り方

「たとえば、学校を鯖に例えてみましょう。
 多くの大人たちは『鯖はとっても栄養があって、食べると頭がよくなる』と信じています。だから『食べなさい』と勧めます。子どもが少しためらっていると『食べないと賢くならないから、少しでもいいから食べなさい!』と勧めます。そうすることが大人たちの義務だと信じているからです。
ある子は喜んで食べます。またある子は仕方なく食べます。そんな中、鯖を頑張って食べた子が、腹痛を訴えました。鯖が少し傷んでいたようです。でも大人たちは、原因に気付かず『これはとっても栄養があるから』と、また鯖を食べさせようとします。子どもは『食べられないと恥ずかしい』という思いもあり、少し無理して食べてみますけど、またお腹が痛くなってしまいます。
 そんなことを繰り返していると、子どもは鯖を見るだけで脂汗が出たり吐き気がしたりするようになり、少しも食べられないようになります。
 大人たちは首をかしげ、対策を話し合います。『どうしたらあの子が鯖を食べるようになるか?』という話し合いです。ごく一部の人はここで気づくのですけど、多くの大人は『鯖を食べないと頭が良くならない。先々生きていけない』とまで思い込んでいますから、自分たちが食べさせようとする鯖がその子にとって危険なものになっていることに、気づくはずもありません。・・・・」 
石井嘉寿絵 著『たとえば鯖 不登校・ひきこもり・発達障がい に思う』(2022)より

この分科会では、300回以上「親の会」を運営し、「900人以上の不登校で悩む方々のお話を聴いている」親であり運営委員である石井さんの報告から、団体名「不登校に学ぶ」の「学ぶ」に込められた「学校をよりよい環境に、魅力的なところにしてほしい」、「学校の先生も楽しく過ごせる学校を」という「フレンズネットワーク」の願いを確認し、そうした学校の在り方を考えていきたい。
また、親の会が大切にしている、「受け止める」ということ。「『親の会』の参加者は、一番つらいことは中々話されない、その場が安心して話せる場だと話せることもあるが、本音ではないこともある」と石井さんは言う。「親の会」の運営の在り方を聞き取りながら、「親の会」の存在意義を考えていきたい。その際、上記『たとえば鯖』に著される不登校への捉え方を参加者と共有したい。
 そして、定時制に異動になり、これまでの指導法で壁にぶち当たった山本先生が、「フレンズ」に参加することで、最初は「教員の悪い癖が出て」、「悩まれている保護者の方に“アドバイス”や“助言”をしたくなり、」「真逆の空気を作ってしまっていた」が、「親の会に関わらせてもらい、私自身も聴いてもらうことを繰り返すうちに、人の話を聴くことが幾分か出来ているなと思える」ようになった変容、つまり自分の教育観が崩され、自分の教育スタイルを再構築していった過程を参加者と一緒に読み解き、教育と子育てと福祉の繋がり方を考えたい。

一般分科会5 [ HR ] 見え方のちがいをこえて 授業改善要望書づくり

夜間定時制高校に勤務する渡部のHRでは、3年間HRの中心だった女子Rが退学し、男子6人が4年生に進級した。修学旅行を2週間後に控えるなか、「理科室のドアをだれが閉めるか」でIとHが険悪な雰囲気になる。渡部はそのトラブルを自身が担当する国語表現の授業で「物事の見え方の違いを知って、考えよう」シートを使って、一人ひとりの行動の背景や裏にある感情を読み解くよう促す。シートに書いたことを発表しあうなかで他者の行動の意図や感情のちがいに気づき、お互いの距離が縮まる。自分の体験を積極的に語ったり、人間関係についてのアドバイスをしたりするなど、クラスメイトへの関心が一気に高まり、6人の会話は弾んでいった。こうして迎えた修学旅行では、Hは人生で初めて一人で食事をし、周囲への気遣いもできるようになり、劇的な成長を遂げることができた。
進路も決まった11月、Iの心の中にくすぶっていた数学の授業中への不満が爆発してしまう。渡部は一人ひとりの授業への不満を聴きながら、社会に出る前に、みんなで不当な扱いに対する具体的な声のあげ方を学ぶ絶好の機会と考えた。
生徒たちは渡部と「要望書の書き方」について学び、一緒に作成。そしてIをHRの代表として、数学の授業担当者に要望書を渡すことになる。

定時制4年目、Rの後に残された6人の男子の物語
―バラバラだった男子生徒が団結できたのはなぜ―
級友への関心を素直に表せないまま、積極的に他者と関わろうとせず、ばらばらだった生徒たちが、4年1学期の修学旅行前の国語表現でトラブルを紐解く話し合いの時間を経て、旅行先では親密で濃密な時間を過ごすことができた。
11月のある日、数学の授業でキレてしまったIに共感し、話し合い、結束して教師へ要望書を出せたのはなぜか?どこからそんな力が湧いてきたのか?声を上げること、声の上げ方を学び、生徒たちはどのように変わったか?

生徒が、意見表明ができるようになるまでに必要なこととは?
子どもの権利条約批准から30年がたってようやく「こども基本法」が日本でも制定された。子どもを管理することが優先されがちな学校で、生徒に声の上げ方を教え、意見表明権を行使させることは喫緊の課題である。しかし生徒はすぐに意見表明ができるものではない。生徒が声を上げる主体となるためには何が必要か?渡部実践から学ぶべきは何か?6人が声を上げるような力はどこからきたのか?いつの間にこんなに力を蓄えていたのか?皆さんで渡部実践を読み込んでたくさんの気づきを共有しましょう!!

一般分科会4 [ HR ] 新しい景色が見えた文化祭

この実践報告「新しい景色が見えた文化祭」は、特別支援学校における文化祭という行事を通じて、教員と生徒、そして学年団全体の「本気」と「信頼」が紡ぎ出した二年間の記録です。その魅力は、教育の現場で起きているリアルな葛藤と、生徒・教員・卒業生・保護者など関わるすべての人との創造のプロセスにあります。
最初の年、「特に大変な学年」と評される生徒たちを前に、学校方針の「演劇から学習発表へ」という転換に直面します。しかし河上さんはそこで妥協せず、「本気は伝染する」という信念をもとに、学年団教員との対話や不安の自己開示、信頼関係の構築から実践をスタートしました。そして、教員だけでなく生徒一人ひとりとも丁寧に向き合い、全員が対等に意見を出し合いながら劇が形づくられていきます。時には学年主任の考えに「NO」と伝える場面や、他の教員の提案に対し自身の不甲斐なさから思わず涙する場面もありましたが、こうした葛藤こそが「本気」の証であり、それが教員や生徒へと広がっていったのです。そうした過程を経て、「青春」というテーマが命を持って輝いていきました。
2年目はさらに深まり、「自己対話」や「人生の物語」という繊細なテーマに挑戦します。より高度なメッセージと構成を目指す中で、脚本の試行錯誤や生徒への細やかな配慮など、教育現場の「難しさ」と「可能性」が色濃く描かれています。
特に印象的なのが、冬美さんや修人さんの姿です。心の葛藤と向き合いながらも、教員や仲間との信頼の中で舞台に立ち、成長していく様子は、まさに教育の核心を示しています。「修人が“修太モード”で面接に挑んだ話」や、「生徒たちが自主的に小演劇をつくったエピソード」など、文化祭が彼らの人生に与えた影響が深く伝わってきます。
この実践の本質は、演劇という手段を通じて、生徒だけでなく教員自身も再構築されていく点にあります。信頼し、委ね、自分の言葉で語り、他者の声に耳を傾ける。その先に「新しい景色」があることを、私たちに実感させてくれる報告です。
この分科会では、河上さんの実践報告を受けて、「本気」や「信頼」をキーワードに、参加者のみなさんが自分の言葉で語り、他者の声を聴き合う場にしたいと考えています。河上さんが生徒に語った、「想いは最初からしっかりとした形で心の中にあるのではない。自分で言葉にすることではじめて具体的になり、行動が変わっていくのだ」という言葉のように、この会でもその場その時の想いを共有し、語り合う中で、参加者同士の化学反応を起こしていければ幸いです。

一般分科会3 [生徒会] 生徒の意見表明で学校が変わる

なんと、びっくりすることに生徒総会をやらない学校が北海道では増えている。生徒からの意見もない、形骸化していてやっても意味が無い、などが理由らしい。教師も楽だ。でも、これってそもそも規約違反だし、意味が無いなら意味のある生徒総会にすべきだ。山本の実践は三者協議会にはじまり、生徒総会だけでなく、意見や要望書・談話などが飛び交い、生徒の声を思いっきり聞き、要求につなげる。まるで1つの「くに」のような取り組みである。

・ここがいい①「義務を果たして権利を叫べ」じゃないところ
 山本の根底にあるものは、「生徒の意見表明は誰に対しても保証されるもの」であり、意見が尊重されているという経験は社会への積極的参加につながるという人権感覚だ。「従順な生徒を作りたがる学校」ではなく、おかしいことは、おかしいと叫ぶ。それは実現しなくてもいい。仲間の要求を聞き、行動することが重要だ。山本は生徒にどんな声をかけ続けたのか。そこを深く追求したい。

・ここがいい②「要求を叫び、成長する生徒」
 実践では「女子のソックスも黒と紺を」、「男子の髪型に自由を」、「行事でスマホを使いたい」、「メイクをしたら元気に学校に来れるのに」など、生徒の要求はかわいいというか、すぐに実現できそうな、社会ではごくごく当たり前のことだ。でも学校では簡単に「だめです」となる。生徒会執行部は三者協議会、生徒総会や校長に要望書を提出し、その要求の意味を理論的に展開する。「これからもがつがつ要求を出して新しい学校をつくりたい」(生徒会長のことば)と生徒も変化していく。「どうせ何を言っても変わらないし」とあきらめない学校づくりを学びたい。

・ここがいい③「でも、ちゃんと敵はいる?」
 山本は文化祭の新企画を提案するが学年主任は、「もう、決まってる。生徒がワチャワチャするのは苦手だ」と一度は拒否をされるが、「みんなのリアル動物園」(高校生活指導219号)を実現する。「メイクをしたい」という要求は実現しないが服装指導が威圧的でなくなった。「遠足をしたい」も実現はしなかった。「生徒は刺激せず、従順に。生徒会行事はなくす方向で」という教員は多い。実践には書かれていない山本対教員集団の戦い方があるのでは。ぜひ、全国大会で深めましょう。