月: 2025年7月

青森からこんにちは 

日本全国暑い夏になっています。
今日は北海道北見で40度とか。

青森も連日、異常な暑さが続いています。

今週末、青森では第109回研究集会をサマーキャンプという形で行います。
今回はアフターツアーとして、酒田さんが前任校で関わっていた「さつき沼ビオトープツアー」を行います。

8月は熊本での全国大会

みなさん、暑くて大変な夏ですが、ともに学習に取り組みましょう。

問題別分科会4 国語科若手教員が「請願」で声をあげてみたら

みなさんは「市民」を育てていますか?
…いや、その前に、ご自身は「市民」してますか?
私の勤務する農業高校には「Learning by Doing」というデューイの言葉が掲げてあります。「為すことによって学ぶ」の字義通り、「市民する」こと抜きに市民としての学びは深まりません。
翻って、シティズンシップ教育や生徒によるルールメイキングが流行っていますが、よく見ると単なる投票促進や「どんな髪型なら許されるか」の線引きを考えさせる、という看板倒れの「市民教育」もあります。大人にしても「民主的な職場」とは到底言い難い学校で、「自分たちの学校のことを自分たちで決めるには?」という問いすら立てづらい日々です。
本実践では、報告者たちがひたすら市民としてDoingしています。さらに、この実践には、若手(超多忙&経験値は蓄積途上)、国語科(政治は門外漢)、政治的タブー(リスキーで触れたくない)、(最初は)思い入れも覚悟もなかった、職場の無関心…等々、普通だったらDoingに踏み出せない理由(言い訳の種)が満載です。
では、「自分たちのことを自分たちで決めたい」という当たり前で切実な願いを、報告者たちはどのように行動につなげていったのでしょうか。そして、全国高生研や大阪高生研がこれまでに培ってきた学びや活動(Learning by Doing)が、どう関わっているのでしょうか。

報告者の「市民」活動は数多ありますが、簡単にまとめるとこんな感じです。
〇「どど万(どどばん)」の立ち上げ
大阪府の「万博子ども招待事業」の発表をきっかけに、若手教員たちが行政主導で決められることへの違和感や安全への懸念を膨らませ、「どうする⁉どうなる⁉大阪の2025年遠足~大阪・関西万博~(どど万)」を立ち上げます。
〇声明、陳情、請願などの政治活動
「招待事業は強制ではないことの確認を」「学びや安心安全が保障される招待事業を」という柱を立て、タブー視されている政治的な話題を正面から取り上げ、戦略を立て、行動を起こします。
〇メディア対応や議員訪問、様々な初めての体験
メディア露出の不安、政治家を訪問する緊張感など未知への不安を抱えつつも、対話によって立場の異なる者同士が同じ景色を共有できた、という手ごたえを得ます。
その結果、大阪府議会において全会一致で「どど万」の請願が採択される(教育関係の請願としては令和初!)という快挙を果たしました。
困難を乗り越えた若者の成功譚を聞く場ではありません。忙しくても経験がなくてもリスキーでも、仲間と「市民する」ための組織づくりについて、様々な環境を言い訳にせずに「市民する」教員の在り方について、一緒に考えませんか?

問題別分科会3 生徒たちが市民として参加する実践視角

「集団づくり」という言葉
 高生研会員の中には、意識的に「集団づくり」という言葉の使用を避けている方が多いのではないだろうか。特に「ベテラン」といわれる教師たち程その傾向がみられるように思う。またおもしろいことに、「若手」といわれる教師たちの方が「集団づくり」という言葉を使用することにあまりためらいがなく、その言葉に含まれるエッセンスに価値を見出しているように思われる。このように世代によって安易に二分して考えることはできないかもしれないが、このような一部の状況を引き受けて次のような問いを導くことができるだろう。それは、「集団づくり」の何をこそ批判し、何をこそ発展させ継承するべきかという問いである。高生研研究指標(1997年)には、「個の成長と集団の発展に着目した『集団づくり』の実践的伝統を引き継ぎ、国家および市場による教育支配に対抗しうる文化・社会・学校を創造する新たな実践の筋道を探る」というものがある。この問題別分科会では、まさにこの研究指標を引き受け、現代における実践の方途を探るというねらいがある。
高生研は発足以来、子どもが「社会」に参加する市民・主体として育つことを目指して、研究や実践を追求してきた組織であるといえる。民主主義という言葉には様々な意味が付与される可能性があるが、ここではそれについての明示は避ける。高生研における議論や機関誌の場でつかわれる民主主義という言葉は「個人の成長と集団の発展の過程で培われる思想と、それを実践することができるちから」という認識に留めておく。
 民主主義を実感して主体的に実践するようになるには、様々なかかわりや活動が媒介となることが重要な役割をもつと高生研に集う教師たちは考えてきたと考えられる。子どもへのかかわりや、子どもが参加する活動に対して、教師はどのような構えや視角をもつ必要があるのだろうか。さらにいえば、生徒たちが市民として参加することができるようになるためには、教師としてどのような実践視角を持つべきであるのか。本分科会は、以上の問題意識のもと、「生徒たちが市民として参加する」実践の特徴を捉えることを試みるものである。その際、近年の実践を足がかかりとしつつ、参加者とともに深め合いたい。
 本分科会では、「集団づくり」という言葉を歴史的に整理したり、理論的に検討したりすることを目指しているわけではない。「生徒が市民として参加する」うえで重要であると考えられる実践の特徴を捉えることを目指している。そのため、発表者によって紹介することができないその他の多様な実践にかんする知識や、参加者が持っている実践知を結集させて、少しでも今後の展望をひらく議論の機会としたい。

問題別分科会2 「いじめ・トラブル」を問い合うHR・授業 対話、ケアと「心の傷」をめぐって―渡部実践を元に

渡部のクラスは男子6名となった、定時制高校4年生である。修学旅行前、理科室のドアを開けたままにした、発達課題を持つHに対し、気の短いIが高圧的な態度だったことがわかる。渡部は、Iには、自分と合わない者を排除しようとする傾向が若干あるので、注意を促さなければと思いながら、Iが所属するバドミントン部の顧問に話をした。そして事情がわかる。体育の授業の時もHが毎回ドアを開けっ放しで自分から閉めることがない。Iはバドミントン部で、日頃から風の影響を受ける扉には過敏だとわかる。それぞれの感じ方の違いからトラブルが起きている。渡部は担当する国語表現の授業で、自分の見聞きしたときの感情やそのときの他者の感情を書きださせるシートを作成した。そして渡部が読み上げながら全体に確認していく。生徒たちの話し合いが始まる。Iを初め、生徒たちはHが心配でHのバイトの話しをする。 I「Hさ、バイトやめた時上司に文句言ったんでしょ」「ご飯一緒に食べるような友だちっている?」「Hもさ、何か自分から動いて喜ばせてやりたいと思える友だちつくれよ~」。渡部はHの1年次の作文に書いた、いじめられ体験を寄り添いながら語る。そしてH「クラスの人たちとこういう風に話し合えたの初めてで……なんか、涙が出てきちゃいます」(と涙を流す)。Hはその後の修学旅行で成長を遂げる。
渡部は2人を呼んで個別に注意するということはしないで、クラスみんなの話し合いの課題と位置づけた。定時制で人数が少ないとは言え、渡部のクラスはなぜこうした話し合いができるのだろう。また、トラブルの際に互いの見え方の違いをHRで共有し合うことには、どのような意味があるのだろうか。そして渡部が生徒と相互応答することで立ち上がってくる、生徒の生活世界は渡部と生徒たちに何をもたらすのだろう。彼らの活動(行為、言葉)と認知認識、関係性の変容とその深化について深めたい。一方で、私は大学で学生たちの「いじめ」や虐待被害の酷さとその「心の傷」に長く心を痛めてきた。そして、「いじめ・トラブル」がなくならないにしても、それを「予防」できる学びの活動が必要ではないかと考えた。そこで、認知行動療法を用いて、「いじめ・トラブル」を問い合う授業を非常勤の高校で約6時間実施した。そのなかで彼らは自らの認知のゆがみを考え、互いの認知の違いを問い合い、学び合う。そして最後に、科学的な認知療法の対話スキルを越える、寄り添う応答を発信していくようになる。
渡部のHRの話し合いは、私の授業の問い合いと異なり、そこには活動と関係性をベースにしたリアルな生活指導が行われている。そこから見えるものを確認したい。最後に子どもたちに今増加する、渡部実践のいじめ被害のHと基調のSが抱える「心の傷」(心的外傷)についても、教師の向き合い方を含め提起をしたい。                

問題別分科会1 声にならない声を聴く

虐待、ネグレクト、貧困…様々な事情から親を頼ることができない10代~20代の若者たちを支援する NPO 法人トナリビトでは、若者たちと関係性を築く中で、多くのことを若者たちに教えられ、葛藤を繰り返 しながら若者たちの「声にならない声」を聴く取り組みを続けてきた。

代表の山下祈恵さんは、高校時代、進路選択にあたって、それまでずっと考えていた医学部進学を止め、海外留学を決めた。担任からは「経験もないので進路への助言はできない」と言われ、すべてひとりで手続きを行い、アメリカの大学へ留学した。

帰国後、病院の事務職として就職。働きながら、児童養護施設で家庭教師ボランティアを行う。そこで入所している子どもたちと出会い、想像をはるかに超えてシビアな状況で生きていることを知った。「失敗しても安心して過ごせるおうちが欲しい」と言った子に「そんな場所を、いつかつくるから待っていてね」と言ったものの、自分にいったい何ができるのか、悶々としていた。
そんな時、世界中のスラム街で子ども支援をしているMetro Child Worldの創設者の講演を聴いた。「子どもたちがかわいそうだと、ただべちゃくちゃしておしゃべりするだけの人間に私は疲れました。行動を起こす気がある人だけ、私のところに来てください」という言葉に、「私はぺちゃくちゃおしゃべりするだけの人間だ」と強烈に突き付けられた気がして、講演後、創設者のところに話に行くと「一度、ニューヨークに来なさい」と言われ、3週間後にニューヨークに行く予定があったので、あまり時間が取れなかったが、話ができた。
その後、半年ほど休職し、「本当に自分がこういう問題に関わっていけるのかどうか、そこで見極めたい」と思い、スラム街の子ども支援団体のキャンプトレーニングに参加。「もし喜んでできなかったら、やるべきではない」と。12時間以上働き詰めの毎日だったが、スラムの子どもたちと一緒に過ごすのがすごく楽しくて、満たされた日々だった。

同年(2018年)夏に帰国後、起業準備を始め、2019 年に自立支援シェアハウス「IPPO」を立ち上げ、トナリビトの活動をスタートした。トナリビトでは、親を頼れない子ども・若者を対象に、シェアハウス等の住居支援、緊急シェルターや居場所の提供、公式 LINE や SNS 等での相談対応をメインに普及啓発や支援者育成等を行っている。
トナリビトでは「若者がしてほしくないことに気をつける。若者の主体性を奪わない」ことをスタッフで共有している。共有していることの食い違いから、失敗することもあるが、失敗したら謝ることにしている。謝ってからが「スタート」で、これが学びを作る活動につながっていく。
警察で保護された若者の「引き取り手がない」とトナリビトに連絡が来たりする。様々な生き辛さや家族関係の問題に起因する問題で行き場を失い、社会からはじき出された若者の「居場所」となっている。しかし、行政はこの若者たちの抱える問題に積極的な対応をせず、トナリビトにおまかせの状態である。行き場を失った若者の実態を聞くにつれ、トナリビトだけの若者支援だけでは、解決できない感がある。
そこで、分科会には山下さんとも交流のある岡田行雄さん(熊本大学法学部教授)に助言を求めることにした。岡田さんは、少年法を専門とする研究者である。少年院を訪問し、非行少年たちと日常的に面会を重ね、保護司とも意見交流をしてきた。家庭や社会に起因する非行と呼ばれる行動の背景に、トナリビトがコミットしている。子ども・若者を取り巻く課題が複雑化する今、私たちは若者の「声」にどう向き合っていけばいいのか、ともに考えたい。また、トナリビトの活動に対して、行政機関や教育機関、そして様々な団体がどのような役割を担い、連携していけば子ども・若者の自立支援になるのか、意見交換をしていきたい。