2026 東京大会 8月8日(土)18:00~20:00 交流会

現在、6つの交流会が予定されています。

① 小森陽一氏と平和を語り合おう

今こそ、平和について考える時ではないでしょうか。平和についてそれぞれの思いや、平和についての実践など交流し、語り合いましょう。現在和光学園理事長で、全国「九条の会」事務局長を務められている小森陽一氏にその語り合いに加わっていただきます。

② 基調を深める

私たちはのっぺりとした教師という「概念」として学校の中に存在することが求められています。いっぽうで生徒もまた、未熟で従順な生徒という「概念」であることが求められます。保護者も同様です。しかし、「現実」の教師、生徒、保護者には肉体があり、家庭があり、感情があります。そして、それぞれの物語があります。その「概念」と「現実」の間で教師、生徒、保護者は、日々引き裂かれています。しかし、それぞれの物語が共鳴する時、教師、生徒、保護者は変容していきます。教師、生徒、保護者が共鳴し合いながら変容していく、深く重層的な河上基調をさらに深く読み解いてみませんか?

問題別分科会④

 微力だけど無力じゃない ―生徒の学校運営への参画を考える―

生徒会が形骸化しているという話をよく聞きます。生徒総会が行われない学校も多いようです。

私たち教員自身が、自治を経験してないということも、生徒会の「衰退」につながっているように思います。

そんななかで、酒田さんは、高生研でもピカイチの生徒会実践を行っています。

この生徒会実践を通して、学校がどのように変わっていったのか、参加者の皆さんと考えていきたいです。

酒田実践のポイントはまず、「お金」です。

酒田実践では、900万円近い生徒会予算を、生徒に管理させます。集めたお金をどこにどれだけ使うか、そこに「政治」が表れてくるのだと思います。そして、そのことを通して、生徒たちは「政治」を学んでいきます。

もう一つのポイントは、生徒の「意見表明権」の保障です。

酒田実践では、意見表明の場として、三者協議会があります。三者協議会では、生徒と教師は対等に議論することができます。これは生徒の意見表明権の保障なのではないでしょうか。また、三者協議会は生徒たちの要求の組織化の場となっていると思います。

さらに、もう一つの意見表明の「場」として、生徒会執行部通信(『Viva生徒会』)があります。酒田さんは、「生徒会が自分たちの『情報』を自由に発信する手段を持っていることは、生徒をエンパワーする大きな力となっている」と言います。

生徒会を担当していなくても、生徒と共にこの社会を少しでもより良くしていきたいという思いのある人は、酒田実践からそのヒントを探っていきましょう。私は、生徒を「嘘でなく大人扱い」していることが、この実践のポイントだと考えています。

学校を動かすことが、社会を動かすことにつながっていくし、学校を変えていくことが、社会を変えていくことにつながっていくのだと思います。

問題別分科会③

  「実践の『教育的』な意義を集団的に描き出すとは」

この問題別分科会の始まりは、3月14日に1日がかりで行った「高生研理論・実践グループ」による公開研究会です。今回は、それを発展させたものであり、その内容をより深めるためです。公開研究会では「生活指導実践の『間』」と題し、「渡部実践」をもとに議論を行いました。相良さん、スティーブンさん、アンドリューさんが来日し、思考を深めました。オンラインにおいても関心を寄せる海外の方も参加し、高生研の長きにわたる実践を読み合うという営みが、哲学や知識といった科学的な論理が先立つ発想を乗り越えるものとして、海外の教育研究者から大変な関心が寄せられていることを感じました。
【ポイント1】

Stephen Heimansさんはオーストラリアのクイーンズランド大学の教員です。教育実践の研究者で、相良さんの渡豪のきっかけとなった方です。全国大会はオンラインでの参加になりますが、海外の研究者、教育者と出会える機会です。英語は全然ダメな私ですが、相良さんの通訳があるので安心です。

【ポイント2】

3月の議論を受けて前田さん、小川さん、Stephenさん、 Michelleさん方が「渡部実践の教育的意義は何か」という問いについて、それぞれが考えを原稿にまとめて持ち寄り、それらを参考に、参加者みなさんで議論することを考えています。「教育的意義」を論ずることは容易ではありませんが、それぞれの視点、経験から多様で深い教育哲学的議論をつくりましょう!

【ポイント3】

実践者は常に揺れ動き、語り掛け、考え、動き、献身的に実践しています。たいてい現実はいたって困難であり、精神的にも疲れます。そして、必ずしも報われるわけではありません。基調発題をする河上さんは「常に引き裂かれている」と書いていますが、まさにその通りだと思います。実践者は仕事以上に1つの生き方として、ひたむきに実践を作り出そうとします。その原動力は実践者の中にある「教育的意義」なのだと思います。その意義が伝わったとき、何よりもの喜びを感じ得ます。かけがえのない教育という営みに生きるものにとって、「教育的意義」を考えることは、私たちに大きなエネルギーをもたらしてくれるのではないでしょうか。

問題別分科会②

  生活指導と「心の傷」、

 トラウマインフォームドケアをめぐって~西之園実践と渡部実践をもとに~ 

 本分科会は、昨年度の熊本大会最終日、台風による中止という異例の事態で報告が見送られたレポートがベースとなっている。それから一年、さらなるバージョンアップを遂げて帰ってきた。

もとになるのは、①渡部祥子実践『見え方の違いを超えて授業改善要望書づくりへ』と、②西之園創平実践『生徒の「傷」に応えられる学校とは~生徒から受け取った宿題~』の2本の実践報告である。いずれも分科会や『高校生活指導』等で注目を集めた魅力的な実践だ。これらを鮮やかに分析する森先生の報告に加え、勝又先生、城塚先生によるコメントが加わる。「こういうアプローチがあるのか!」という驚きとともに、現場で役立つ深い学びが随所に詰まっている。

森先生が提示するのは、「教師の熱意や勘に頼る生活指導」から「科学的知見に基づいた、組織的かつケアを基盤とする生活指導」へのパラダイムシフトだ。つまり、「問題行動を力で抑え込む指導」から「背景にあるトラウマをケアする指導」への転換である。従来の生活指導では、問題行動を起こす生徒に対して「わがまま」「怠け」「反抗的」と捉え、説諭やペナルティで抑え込もうとしがちであった。しかし森先生は、二つの対照的な実践(渡部実践・西之園実践)を丁寧に対比させながら、生徒の行動の背景にある「見えない心の傷(トラウマ)」に光を当てている。単に心理学の理論を当てはめるだけでなく、学級という「集団」の力、そして「対話と活動」を通じていかに生徒が主体性を回復していくかという、生活指導本来の醍醐味と見事に結びつけているのだ。また、2人の実践から、トラウマケアを「スクールカウンセラーと生徒の1対1の治療」に閉じ込めず、「学級の仲間との活動と対話」を通じて回復させるアプローチを理論化した点にも注目したい。子どもたちが集団での活動(クラス、行事、部活動など)を通して、互いに支え合い、高め合いながら、社会で主体的に生きていく力を育てる生活指導のあり方を、実践から鮮やかに汲み取っている。

結びに提案される「トラウマセンシティブスクール(学校全体でトラウマインフォームドケアを展開できる体制)」の構築は、不登校や家庭環境の困難さを抱える子どもが増える現代において、まさに今求められる教育改革の羅針盤だ。困難な実践で疲弊する教師自身のケア(同僚性)にも配慮されており、現場への深いリスペクトと、「誰一人見捨てない」という強い意志に満ちた必読のレポートである。現地で皆さんと深く語り合えることを楽しみにしている。

問題別分科会① 

  生徒の呼びかけから、もう一つの文化を拓く

総合的な探究の時間の班決めで、A男が孤立。C男から「先生が班決めを自由にして、方針を示さなかったので混乱した」との批判を受けた但馬さんは、C男を含めた複数の生徒たちと何度も語り合い、教室に潜む「排除の空気」をのりこえるための働きかけを模索した。しかし実践は、教員間の「壁」に阻まれ中断されたのであった。

生徒のトラブルの背景には中学時代までの成育歴があるし、そこでの「傷」の影響もある。これらを当事者から「聴きとり」、やんごとなき理由を探り、生徒の間で「やりくり、おりあい」をつけることが大事になる。ややおおざっぱにいうと、この過程には「ケア」という働きがあり、そこで「自治」能力の育成がめざされる。

上記の指導は不可欠であることは、教員間では「それなりに」合意がとれそうである。そのさいには、中学との連携、保護者との対話、生徒同士の話し合い、など「複雑で微妙」な、それゆえに実践の機微に触れる、生徒の理解と教師の成長にともに貢献できる指導方法が開拓される。しかし悲しいことに、このような「先進的で誠実な」実践を進めることに臆病になる学校風土もある。本分科会では、この現実≒壁を「少しでも」突破できるリアルで具体的で実現可能な方策を探りたい。

生徒の声を聴く(おおざっぱにいうとケア)と生徒の自治能力を育てる、この両者をセットにして追求する指導法は、じつは生活指導のサークルが発足当時からとりくんできた核心的な問題でもある。それが今日までひきつがれ議論の俎上に上るということは、この課題が困難でありかつ重大であることを意味している。そもそも、もっとも困難な実践課題をテーマにしないなら、理論はその役割は果たしたとはいえない。よって、本分科会では、この課題を浮き彫りにしたい。

やや大風呂敷を広げると、本分科会の「ウリ」は以下のように言える。

一方では学校教師が誠実にとりくもうとするときに阻まれる「学校の圧・保身」をどうのりこえるのかという実践の「最先端」を問い、他方では長年のあいだ「集団づくり」(あるいは自治の指導、話を広げて生活指導でもよい)と呼ばれてきた指導方法・思想の「歴史・遺産」を今日に生きるように語りなおす試みである。