月: 2023年7月

青森高生研第105回研究集会 SUMMER CAMP in 八甲田

青森からこんにちは

応援ブログ担当の吉田です。

現在、東京大会の一般分科会、問題別分科会を毎日アップしています。

久しぶりの対面での大会です。(沖縄大会も対面でしたが・・・)

皆さん、東京でお会いしましょう。

 

さて、北国青森でも毎日30度越の暑い日が続いています。

教室にクーラーがついたので、夏季講習は快適ですが、体育館では練習ができないほどです。

今週末、青森高生研では酸ヶ湯キャンプ場で研究集会を開催します。

東京大会の基調発題の塚本さんにオンラインで参加していただきます。

キャンプ飯も充実。みなさん、暑い夏を楽しい時間で楽しみましょう。

大会特集②「問題別分科会編~提起者からの報告概要~」問題別分科会2 「対話と共同によるナラティヴ(語り・物語)の生成とエンパワーメント」

2020年及び21年の渡部基調をもとに、「ケアと対話」「ナラティヴ(語り・物語)」「共同(行動)」「エンパワーメント」とは何か、それらがどのように関連し合っているのか、実践においてなぜ重要なのかを共に考えていきたい。当時か関わっていた渡部以外の教師にも参加してもらい、学校で何が起こっていたのかをふまえながら、下の二つのさしあたりの〈問い〉と〈読み〉を参考にして、参加者で多角的に検討したい。

〈問い〉中学時代にカミングアウトがうまくいかず、高校入学直前まで自分の性自認を親にもだまっていたMだが、なぜ、高校生活の中で友だちに次々とカミングアウトし、最後は卒業式でスカートをはくという自己表現の決断ができたのだろうか?

〈読み〉頭髪規定や制服に不安感をおぼえたMは入学前の個別相談で渡部に自分の性自認を打ち明ける。渡部は、Mの苦しい思いを汲み、励まし、学年通信や「性の多様性」の講演会を設定するなどで応答していく。Mは担任のZ先生の注視に助けられて同じ性的マイノリティであるRと出会いカミングアウトする。担任、渡部、Rと話す中で、思いを聴き取られ、Mは修学旅行にいける。前後してMは信頼できる友だちに次々とカミングアウトし友だちもそれを受け止める。渡部は生徒を主人公とした行事をつくりだしていき、Mはその共同の行動のなかで活躍する。Mはこのような対話と共同行動によって、他者と言語的・非言語的コミュニケーションを重ねる中で自分らしく生きる物語を紡ぎ出し、その物語にエンパワーされることによってスカートで卒業式に出る決断をしたのではないか。

 

〈問い〉一方で、渡部の学校は「思うとおりに言うこときかす」指導が幅を利かせていた。そのような学校でなぜMのスカートが受け入れられたのか?

 

〈読み〉渡部は、毎年の学年方針で「思いを汲むような対話が必要」だと提起する。毎週の学年会議ではレジメにいれて生徒の成長を語ってもらう。Mが安心してトイレに行けるよう共用トイレの設置を職員会議で訴える。修学旅行後、今まで一度も学校では生理現象さえ起きなかったMが、授業中ではあるが、トイレに行けるようになる。そのことを学年外の授業担当者が職員室で報告してくれ、その場にいた教員で喜び合った。総括の職員会議でもそのことを取り上げた。他の担任も職員会議の場でそれぞれのクラスの生徒の成長を語る。他の学年団ではほとんど見られないことだ。

変容する担任団であったが、それでもMからスカートで卒業式に出たいと申し出があったときには揺れる。その揺れに渡部はエンパワーされ、担任団の不安や懸念に寄り添うように応答していく。ここまで我慢してきたなら最後まで男性のフリをしてほしいというある担任に対してZ先生はMは「自分を偽らずに卒業したい」と言っていると応答する。

このようにして担任団を中心としてMの物語が対話と共同によって共有され、そのMの物語が教師たちを動かした(エンパワーした)と言えないだろうか。そしてこの物語は渡部の異動後の今も学校に記憶され生きているのではないか。

<高生研会員通信No.189より>

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大会特集②「問題別分科会編~提起者からの報告概要~」 ◆問題別分科会1 「愛着障害とセクシュアリティ~児童養護施設、大友実践をもとに~」

新自由主義のもと、家庭での暴力による虐待や「教育虐待」ともいわれる過度な学歴主義、孤立的な子育て、そして押しつけ・干渉・支配などにより、今や子どもたちの3人に1人が愛着障害を抱えていると言われる。さらに、家族やパートナーに愛着不安を抱える人は2人に1人とも言われる。

不安定な愛着におかれた子どもは、養育者や教師の顔色を窺ったり、良い子を振舞ったり、攻撃的になったりする。摂食障害、リストカット、依存(ゲーム等)、クレプトマニア(窃盗)等もその現われとも言われる。また養育者の意思が優先するため、気分の揺れが激しくなったり、自分の感情がわからなくなったりする子どもも多くみられる。しかし、こうした子どもたちは、教師等信頼できる大人の呼びかけと共感的な応答によって、安心・安全基地を獲得し、その苦しみと困難が修復されていく例は少なくない。そして、愛着の修復は何歳からでも可能であるといわれる。愛着障害や不安定な愛着などの背景とともに、具体的な対応策も提起したい。

またLGBTという言葉が認知されてきたが、セクシュアルマイノリティであると自覚した子どもたちは「フツー」でありたいという呪縛にとらわれたり、自らの性自認や性的指向に苦しんだりして、私個人の問題だとして孤立している。そうした子どもたちの個々の苦悩に寄り添いながら、彼らと一緒に「フツー」という概念を問い直し、彼らを生きづらくさせている差別的な構造をなくし、誰もがありのままに受け入れられる社会づくりに努めたい。

 

ここでは、愛着とセクシュアリティについて、誰もが生きやすい社会と関係をつくる社会の問題、関係性の問題ととらえ、そうした実践事例として、児童養護施設に勤務する大友実践をもとに考えたい。当日は、児童養護施設職員大友明(仮名)さんが対面で参加し、新卒の新任職員としてRと関わった実践記録を報告する(大友さんは、森ゼミ(自主ゼミ)の運営メンバーであり、昨年9月ゼミの報告である)。児童養護施設の実践報告は、高生研では近年にはなく、その詳細な実情もわかり、報告は必見である。

 

自閉的傾向があり発達障害を抱える、高校1年のRは他の子どもへの性加害があったとして、養護施設のなかで他の子と遊ぶことを一切禁止されている半監禁状態にある。就寝前の30分間だけ個別時間が設けられている。その時間だけがRにとって安らげる時間である。あるとき、小学 2 年児が 39℃の熱を出して体調を崩した。新米職員の大友は、引き継ぎ事項が重なりRの個別時間がなくなってしまうと、Rは「俺の相手をしろ」と、怒りを爆発させる。大友は、Rへ手紙を書いたり、食事を大盛にしたり、声がけを欠かさないように寄り添いを続けた。徐々にRとの関係が良くなってきたとき、Rは学校に疲れ、「死にたい」と大友に語り、「自分はLGBTだと思う」と、カムアウトする。(この後の実践は、紙幅もあるため、当日の大会紀要を見られたい)

大友さんの現在の取り組みの報告も聞きながら、皆さんと共に考えたい。

<高生研会員通信No.189より>

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大会特集①「分科会のオススメポイント」 ◆一般分科会8〔HR〕 「文化祭~カップは踊る、されど回らず~」(報告者:西尾健佑・大阪)

本校は大阪の北部にある私立高校である。生徒数は定員630名に対し550名前後、偏差値は40といわゆる「教育困難校」と呼ばれるところである。男女比率は男9:女1であり、ほとんどが男子生徒である。実際に硬式野球部などの部活動に力を注ぐ教員が多く、抑圧的な教育が行われている部活も少なくない。一方、他の教員の教育実践に関しては不干渉であることが多く、管理職からの抑圧もないが、学校全体の雰囲気として「文化祭を縮小したい」という教員も多くいる中で行った実践である。

昨年度受け持ったクラス(29名)の文化祭の実践報告。ヤングケアラーや気持ちが不安定な生徒など、「問題」を抱える生徒も少なくない。しかし、前向きな生徒が多く、文化祭の出し物はコーヒーカップに決定した。ノウハウも無い中、試行錯誤し文化祭前日に完成したコーヒーカップ。ところが試運転で回らない。リーダーは心が折れて泣きだす。やり方を変えて、何とか本番を迎えるまでの過程を中心に報告する。

ただ、文化祭終了後、多くの生徒がバイトをするようになり、急速に教室の内から外へ彼らの心は動いていった。また、三学期には行事がないため、静かにクラスは終わっていった。文化祭後の「第二の盛り上がり」をどうにかして作ることができたら、もっと変わったのかもしれない。

この文化祭は、私自身かなり「見切り発車」をし、そして生徒たちには「多くのもの」を背負わせたと思う。担任としてもっとなにかできたのではないか、これでよかったのかなどを、参加者のみなさんと話し合いたい。

<高生研会員通信No.189より>

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大会特集①「分科会のオススメポイント」 ◆一般分科会7〔HR〕 「学校は楽しく!生徒が学校生活をつくるとき(佐藤理河・北海道)」の紹介 ~これは、楽しさを起点に、みんなが大人になっていく爽快な物語です~

佐藤理河さんが勤務する高校は大都市近郊の町にある。この高校では、町外からの入学生が多く、市内の(地元の)高校には入学できない「逆流」現象が生じており、「本当は来たくなかった、この高校しか入れなかった」という生徒がわざわざバスに乗ってやってくる。ということは、「期待に胸をふくらませて」入学するというニュースの「常套句」は、ここでは通用しない。

このきびしい現実にどうたち向かうのか。「みなさんを歓迎しています」という教師から熱いメッセージを送ること、「この学校に来てよかった」という実感を新入生にできるだけ早く味わってもらうこと以外に対策はないだろう。だからこそ、佐藤さんは入学早々から「楽しくなければ学校じゃない」とばかりに、登校第1日目に「ジャージが配られた」ことを利用してバレーボール大会をしかけていった。いきなり大会を企画してうまくいくのか?これは壮挙というべきか、それとも暴挙なのか。この議論は、当日のお楽しみに。

 

学校を「逆流」の生徒たちの居場所にするために、ダンス、焼きそば、遠足(公園でカレーコンテストをする)など、楽しい企画は不可欠である。だが、この過程には生徒の「プロジェクト」の力を育てるという方針をしたたかにくみ込んである。また、優勝チームには「チュッパ・チャプス」40本をプレゼントして盛り上がるというのは、遊びに熟練した人でなければ思いつかない。このあと、ハロウィンの飾りつけをする、スマホルールを変える、冬季体育大会を復活させる、こんな試みは、佐藤さんの実践のねらいからすれば、必然に向かうべき方向であった。いろいろとトラブルはあったにせよ、40人の入学者があり、1人も退学者を出さなかったという事実も忘れずに書いておきたい。

以上すなわち、「逆流」という特殊な困難の中で培われた成果は、日本の多くの学校にある「息苦しさ」を突破する普遍的なヒントを宿している、ということになる。

だが、学校のルールを変えたり学校行事を変更したりするには、時間がかかる。意見を聞いたり、原案をつくったり、合意をとりつけたり、まことに手間のかかる営みである。改革にとりくんだ生徒たちは自分たちが卒業するまでに改正の「恩恵」を味わうことができないこともある。しかし、生徒たちは生徒総会で、こう発言している。「僕たちは卒業するけど、なんとか永嶺(・・これは高校名)五輪を復活できないか。」

 

これこそが立派な「大人」の発言ではないか。生徒会も政治も「もの取り」ではない。自分の利益のためだけに動くのではない。みんなのために、公の心をもって、将来を見すえて行動できる生徒がいた。この記録は、楽しさを起爆剤にして大人と政治を問いただそうとした人たちの爽快で痛快な物語である。これこそが、高校生活指導の誇りであり、私たちが広く宣伝したい偉業なのである。

<高生研会員通信No.189より>

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