福島を考える

長野県 小澤彰一

 私が高生研の全国大会で福島を考えたい理由。
1.東京(都民という意味ではなくて)は、福島を植民地か属国扱いしていたのではないか。福島の児童・生徒のおかれている状況に憤りを感じている。
2.福島は地震・津波という自然災害に、原発事故という人為的災害が加わって、他の被災地と違う次元で議論しなければならないと考える。神戸、長岡にも地震直後ボランティアに入ったが、福島では違う空気を感じた。
3.自分の勤務校は木曽町福島(正当な理由ではない)にある。そして、南相馬市小高から長野県に移住した家族の子どもが二人、本校に在籍している。
 
 そもそも、日本人の多くがボランティアに目覚めたのは阪神淡路大震災からだという。私も単独で4日間いったし、作家(?)の田中康夫氏(元長野県知事)すらいったくらいだから、非常時のボランティアが一般化したのは事実だ。定時制の学校で引きこもりだった生徒がボランティアを仕切っていたり、「何をしたらいいか」と聞かないで欲しいといわれたり、老人の話を繰り返し聞き続けることが仕事だといわれたり、とにかくいろんなことを学んだ。中越地震の時は長岡周辺の小・中・高校、養護学校などを回ったが、特に聾学校の地域社会に果たす役割が印象に残っている。聾唖者にとっては、災害時に流れるサイレンや拡声器、ラジオ、テレビといったすべての音による情報が入ってこないのだ。自分の差し迫った情報も相手には容易に伝わらない。学校が唯一の安全な場所になるのだ。そんな当たり前のことに気づかされた。
 福島には今年の2月、そば打ちの道具を携えそば打ち仲間4人で出かけていった。双葉町の本体は埼玉県の加須市に避難しているが、福島市にも小規模の仮説住宅群がある。郊外の不便な場所にあり、小規模故なのでボランティアもなかなか訪れない。不便なので若い夫婦は転居する。仮設住宅村は少子高齢化、限界集落状態になるのである。その区長は仮設居住者の選挙で選ばれるのだが、福島第一原発の従業員であった人である。居住者の多くは近々双葉町に戻ることができると考えているが、彼は放射能の知識があるので、自分たちの生きている間はダメだと腹をくくり、加須との間を往復しては必要物資を運び献身的に働いていた。浜通りは、長野県人なら誰でもうらやむ穏やかな気候で、長閑な海岸の続くすばらしい土地だ。例の20キロ圏バリケードの前までいったが、地震と津波の爪痕が残るばかりで、放射能被害が直接目に見えるわけではない。バリケード前には機動隊が数名と、我々、すぐ近くで営業しているコンビニのあかりがあるばかり、実に閑散としたものだ。
 福島で知り合った方々に「福島を忘れないし、語り続ける」と約束した。ショックドクトリンなどという火事場泥棒みたいな輩の行動に歯止めをかけ、原発再稼働などと平気な顔でのたまう奴らの口を封じるため、繋がり続け、語り続けることが、特に東京でそれをすることが必要だと考える。

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