文化祭などの取り組みで学んだもの

K(東京)

 退職するまで、ホームルームや生徒会役員会で文化祭・送別会などさまざまな取り組みをやってきた。
 高生研大会などで合唱を習ったり、太鼓を習ったり、寸劇をしたりした。それらが役に立てば良いと思っていた。
 結果、取り組んだことは、生徒達の要望を取り入れたものと自分が少しは自信がある、得意な事だったように思う。
 文化祭では、「からくり人形・茶運び人形の製作」「出店・焼鳥屋」「輪ゴムの射撃ゲーム」。生徒会役員会で取り組んだのは「水戸黄門の劇」「影絵」
 工業高校定時制の卒業までの担任期間は、4回の16年間と担任途中2年間が2回の4年間、合計20年間(38年間の在職)であった。生徒会顧問を十年ぐらいやっていたので、生徒会役員で送別会の出し物を出したこともあった。
 A校では、単学級で文化祭の出し物が食べ物出店が多かった。「焼鳥屋」は生徒の中で赤提灯の焼鳥屋をやっている生徒(中学時代いじめられていた)がいたので、その生徒の要望を入れて行なったものである。
 やや工業高校にふさわしいものと言ったら、「からくり人形」と「輪ゴムの射撃ゲームのピストル製作」である。
 「からくり人形」は暴走族など荒れていた時期に、生徒達が取り組みたい物が無かったので、私の発案で生徒達にやらせた出し物であった。
 B校の文化祭では、学校の授業で作ったものの展示が中心だったので、クラスとして取り組める部分の少ない文化祭だったが、何かを作らせることでクラス参加をした。それが「輪ゴムの射撃ゲーム」であった。
 生徒の一人が趣味的なものとして作りたかった「輪ゴムピストル」をクラスとして取り組んだ。インターネットで調べたコンピューター製図(CAD)の輪ゴムピストル図面を利用し、機械(ウォータージェット)で形を削りだしたものである。それを3丁作り、手仕上げで組み立てて作り上げた。射的ゲームの的は学年を越え、科で共同して動物などのペーパークラフトを作った。屋台の部分はクラスで作り上げた。
生徒会役員会の取り組み
 生徒会の役員による水戸黄門劇は、送別会の出し物がクラスの取り組みとして出てこないので、生徒会役員会劇を取り組み指導した。やはり、自分が劇を習ったことがなかったので、どたばた的な劇で終わってしまったように思う。
 影絵については、やはり、送別会で、生徒会役員会として取り組んだ。当時群馬高生研の人が本を出していたので、それを参考に作り上げた。これは見栄えのするものができたのではないかと思っている。
それぞれの学校の文化行事
 4つの学校を経験してきて、文化祭の内容は、その学校の継承されてきた文化の内容に規定されている部分があり、生徒たちも前年の文化祭でこの学校の文化祭とはこのようなものだと影響されているので、新しいものを取り入れるのはむずかしいことが多かったように思う。
 最後赴任したB校は、文化祭を科で取り組むんでいた。球技大会・運動会・文化祭を科の取り組みとしておこない。科での集会を持つ中で、そこで上級生がリーダーとして下級生の前に立ち、取り組みをリードしていた。それを科の教員が指導していた。文化祭では、その上級生のリーダーに、科の部屋のレイアウトを考えさせ、準備の3日間の準備内容の把握とその指導をさせていた。
 そのような取り組みの中で下級生と上級生との人間関係を作っていった。私の経験したB校以外の定時制工業高校では、各学年間の人間的な関係がクラブ活動でさえ、薄くなっているのを感じていたので、その取り組みの良さを強く感じた。
 

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