全国大会回想記 その③

 大阪高生研の西村です。前回の続きです。
 1993年の全国大会は山形で開催されましたが、残念ながら私は参加しませんでした。3年の担任だったこと、当時、東北地方はいかにも遠方に感じられたこと、そしてなによりいままで一緒に行っていた同僚の先生も不参加だったことが重なって、1991年から現在までで唯一、この大会だけが不参加でした。後日、おまかせの行商で開催地を訪れ、素敵な場所に不参加だったことをたいへん悔やみました。
 1994年の長崎大会には、はじめて職場から一人で参加しました。もし、他の場所で開催されていたら参加していたかどうか…。というのも、大会参加もさることながら、当時傾倒していた坂本竜馬の足跡を訪ねることが長崎行きの重要な要因だったのです。が、大会での太鼓教室や深夜までのホテルのロビーでの語らい、早朝のソーラン節講習など、高生研全国大会の魅力にはじめて触れた大会でもありました。
 翌年は山梨大会で、大阪からの参加者は少なかったように記憶しています。私としては東京の劇団・青年劇場のM氏との語らいが非常に印象深く、さまざまなところで語ってきました。あと、帰りがけに上九一色村のサティアンを見に行ったことですか。最近、指名手配中の容疑者が次々と逮捕され、またクローズアップされていますが、当時はサティアンでの逮捕劇の直後で、現場近くは警察が交通規制をしていて遠くから眺めた程度でした。
 1995年は青森大会で、三沢温泉での開催でした。2年後に大阪で全国大会を引き受けることになり、ただ大会に参加するだけではなく、大会運営の下見としての大会参加でもありました。その歓迎の夕べでいきなり「振鈴」を見せられ仰天し、別れの集いのクライマックスに感動し、たいへん心を揺さぶられる大会でした。大会後、はじめてねぶた祭りに出会ったことをはじめ、青森・函館を堪能したことも印象的でした。
 翌年の神奈川大会は、次年度の大阪大会をかなり意識して参加した大会でした。大阪高生研のメンバーがどんどん結束していったような印象があります。とにかく、大阪大会のアッピールばっかりしていたような気がします。そのぶん、せっかくの箱根を満喫できなかったのが残念でした。   (つづく)
千葉の参加申込者が2桁に
東京大会の受付・千葉高生研より
 恒例の月曜日の東京大会参加申込者数速報です。わが千葉高生研が、地元受付の名誉にかけて2桁の大台に乗せ、トップとなりました。先週の土曜日に、千葉高生研としては最後の例会を行い、そこでの検討の結果、目標の20名はいくだろうという予測が成り立ちました。(ちなみに、千葉高生研としての例会は最後ですが、有志の研究会は続けてくことになっています。ただし、参加を広く呼びかけたりというような活動はしません)
 合計の参加申込者数は64名となりました。
千葉12
群馬9
秋田6 東京6
静岡4 熊本4
大阪3
北海道2 青森2 埼玉2 三重2 滋賀2 京都2 沖縄2
福島1 茨城1 山梨1 長野1 愛知1 鳥取1

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