細腕学生旅行紀シーズン1(インド編)⑤

こんにちは。沖縄高生研の照屋です。梅雨が明けて、連日30℃を超える暑さが続いています。
先週は台風で火・水曜日と二日間休校になりました。かなり強い台風だったので、僕の住んでる
アパートでは夕方から明け方まで7時間くらい停電になり、久しぶりに懐中電灯を使いました。
期末考査は終わりましたが、夏休み中にも講座(一日4時間)があるのでその準備でまだまだ
忙しさは続きそうです。

さて、インド滞在シリーズ最終回「宿編②」。インドについて二週間ほど過ごし、宿を選ぶポイントもかなりつかんできました。ニューデリー→アグラーに滞在し、次にバラナシへ向かう事にしました。
ガンジス川のほとりで、沐浴で有名な場所でした。ガイドブック「地○の歩き○」に『旦那さんがインドの方で奥さんが日本人夫婦が経営している「久美子ハウス」』の情報が載っていたので、駅を降りてそこへ向かう事にしました。いろんな人に道を聞いて、一時間半くらい?(補足説明:インドの人は基本的に親切。ただし、自分が知らない事でも「知らない」とは言わない。なので道を尋ねられたら「ジャパニー、お前の行きたい場所はこの方向だ!」と自信たっぷりに教えてくれますが、尋ねる人は全て別の方向を指さします。詳しく聞きたい人は全国大会で。)かかってようやく久美子ハウスにたどり着きました。ドアを開けると久美子さん?らしき人がいましたが念のため「ナマステ」と声をかけたら」「….日本の方ですか?」と答えてくれました。久しぶりに聞いた日本語にほっとして、「あっ、はい。日本人です。しばらく宿泊したいんですが?」「え~っと….今はドミトリーしか空いてないけどいいですか?」「あっ、はい。全然大丈夫です。」その当時、久美子ハウスは二食付き(朝食+夕食)で一泊45ルピーでした。かなりリーズナブルな料金で、宿泊客のほとんどが日本人でした。
長く滞在している人はベッドがあてがわれます。僕みたいな「新入り」は、ベッドがあくまでひとまず「床で寝袋」でした。部屋に入るとベッドが五台ほどで、残りは10名ほどが床での宿泊でした。ベッドにいる「先輩」達に軽く挨拶した後、夕食まで少し眠りました。
 さて、夕食。いきなりトラブルがありました。食堂に15名ほど集まって二つほどの大きなテーブルで一斉に食事をします。雰囲気としては、体育系部活の合宿という感じです。先輩方の様子を観察していると、どんなにお腹がすいていても、全員に配膳が済んでから「いただきます」を言ってから食べ始めるという暗黙のルールがあるようでした。ほぼ全員が静かに配膳を待っていましたが、その時若い男性が二人(恐らく「新入り」食堂に遅れてやってきました。「おぉ~、食事あるぞ。ハラへったぁ~。食おうぜ!」と、周りがまだ食べていないにも関わらず、パクパク食べ始めました。それを見て先輩が穏やかに「この宿では、食事は全員に行き渡ってから一斉に食べ始めてます。食べるのはもうしばらく待って下さい(というような感じの事を言ったと思う)。」するとその男性二人はいきなり「なんじゃ~われ!ハラ減ってんだよ!いちいち指図すんな(というような感じの事を言ったと思う)!」とキレて怒鳴り声で反論しました。僕を始め、その場の全員が凍りつきました。「先輩」はもう一度、「みんなが揃ってから食事を始めます。この宿のルールに従って下さい。」と穏やかに言いました。その二人組はそれを無視してそのまま食事を続け、お腹いっぱいになった頃に食堂を無言で出て行きました。残った僕らも「いただきます・ごちそうさま」以外はほとんど会話がないまま食事を終えました。今後の食事時間は気まずい雰囲気になりそうだな、と思いながら寝る部屋に戻りました。荷物を整理したら、沖縄から姉が持たせてくれた黒糖を見つけました。それをかじっていると「先輩」が、「あのぉー…それ、おいしそうですね。一つ下さい。」と声をかけてきました。一人にあげると二~三人が「私にも下さい」と寄ってきて、あっという間に全部なくなりました。そこで少し部屋の雰囲気が和やかになり、いろんな話をしました。平成になった日本をしらない人(その当時は平成6年。つまり少なくとも6年間日本に帰ってない!)大学に合格後、入学式の日からいきなり休学し、世界中を旅している人、南米での「歩いてる人から靴を奪う強盗」の話を聞かせてくれた人….
いろんな話を聞きました。すると、さっき食堂で勝手に食べ始めた二人組が、僕らの部屋に入ってきました。「またトラブルか?」先輩も含めて僕らは一瞬身構えました。
 でもその二人は「さきほどはすいませんでした。初めての宿でルールがよく分からず、お腹もすいていたのでついつい怒鳴ってしまいました。今後はキチンとルールに従います。」と神妙に謝ってきました。「先輩」は「うん。わかりました。」というような事を言ったと思います(はっきりとは覚えてません)。 久美子ハウスは居心地が良く、一週間ほど滞在したと思います。

その後も、インド滞在中に数え切れないほどのエピソードに遭遇しました。興味がある方は全国
大会で僕に声をかけて下さい。それでは、8月に会いましょう。

ガンジス川のほとりで商売を営む家族の姉妹。(名前はピンキー&リンキー)
ガンジス川のほとりで商売を営む家族の姉妹。(名前はピンキー&リンキー)

「細腕二年担任奮闘記④」

 沖縄の照屋です。先日、梅雨入りしました。三日ほど前、仕事が終わって夜7時頃に帰宅しようとしたら、バケツをひっくりかえしたような雨が降り始めました。おまけに勤務地はわりと高台なので、雷もゴゴォーッと30秒に一度くらいの割合で、夜空を一瞬真っ白にしながらすごい音を立て、近くに何度も落ちていました。「ひょっとして、自分の車に落ちるんじゃないか?」と心配しながらノロノロと運転して、何とか無事にアパートに着きました。この原稿を書いている今(夜11時過ぎ)も、外は豪雨です。

 

 さて、去年の担任としての実践報告の続き。9月下旬に行われる予定の文化祭で、「絶対に劇をしたい(させたい)!」と思ったのが6月。それ以降、LHRはもちろん、授業でも「劇がいいんじゃない?」という事を生徒たちにアピールし続けてきました。一学期中には何をやるのか決まらず、7月半ば(夏休み直前)のLHRで、各班(6班)から出た意見は以下の通りでした。

 

(体育館舞台でやるなら)→ ○ 劇 ○ ダンス ○ タイタニック 

ハイスクールミュージカル ○ エイサー ○ プロポーズ大作戦 

ももたろう/ちびくろサンボ ○リバーダンス

HR教室で展示をやるなら)→ ○ おばけやしき ○ 心理カウンセラー ○ 執事カフェ

 ダンス+メイド喫茶+おばけやしき→くっつけてもいいかなと思う!!

    

 「劇をやって欲しい」という思いはありましたが、こんなに多様な意見があるとは予想外でした。

 結局、何をやるか決まらないまま夏休みに入りました(本番は9月下旬!)。夏期講習をこなす中、「どーする?何やる?」と呼びかけ、最終的には自分たちで決めてもらおうと思いました。7月最後の週。まだ決まっていない中、2週間ほど出張があり、学校を留守にする事になりました。生徒たちは夏期講習で出校しますが、僕はいません。

 そこでクラスのリーダーたち(文化祭実行委員+HR役員)に手紙を出すことにしました。

 「①文化祭で何をやるのか、少なくとも8月上旬中に決めておかないと、夏休み中に準備が出来ない事」「②決まったとしても、一人一人の具体的な動き・役割・スケジュール等を、ある程度話し合わないと、動けない事」「③そのために、あなたたちリーダーが中心になってみんなをまとめて欲しい事」みたいな事を書いて合計六人に郵送しました。8月6日に出校日があります。どんなに遅くとも、それまでにはおおまかな内容や役割、そして夏休み中の具体的な動きが決まってないと、本番に

 間に合いません。祈るような気持ちで六人分の封筒を投函しました。

 8月6日、出校日。2年7組ほとんどの生徒が元気な様子で9時に正門前に集合しました。

 「あつし先生、劇をやります。“トイストーリー”やります。」リーダーの一人が伝えてくれました。

 僕は(嬉しかったけど表情には出さず)「そっかあ。劇やるんだな。そいじゃあ、シナリオ作成・役者・衣装(一番大変だ!)・照明・音響とか、色んな係を決めないといけないな」と答えました。

 二時間ほど校内の清掃をした後(夏休み中の各クラスの出校日は、清掃後にLHRを行う)、冷房が使えるLL教室で話し合いを持ちました。基本的に、全てを生徒たちに任せました。

 一時間ほどで、驚くほどスムーズに、ほぼ全ての配役が決まりました。

 僕も配役があって、「ポテトヘッド」をやって欲しいとのことでした。劇を上演するのが決まったので、僕自身も何か関わりたいと考えていました。なので「ポテトヘッド」役も喜んで引き受けました。ただ、この時、僕も含めて、生徒たちも、ある「大切な事」に気づいてませんでした….(本番が終わってからようやく気づいた事が!)  to be continued……..

細腕二年担任奮闘記②

沖縄高生研の照屋です。先週3月3日~7日、修学旅行に行きました。北海道でスキー・TDR・東京エリアでの生徒たち各自での班行動・スカイツリー見学など、企画が盛りだくさん。生徒たちもそうですが、僕ら引率教員もかなり楽しめた旅行でした。出発の日、沖縄は19℃で北海道は-2℃。マイナス20℃近くの気温差で、生徒たちは初めて見る雪に感激していました。

さて前回の「ドラフト会議方式」の続き。この日は各班と、一年分のHR役員や各役員も同時に決める事にしました。各班の班長・班長、各委員そして三学期までの正副HR長、書記、会計です。全員が何かの係りになるように、という事です。クラスに説明すると、「それでいい」という意見が多かったのでやってみる事にしました。ただ、後になって気付きましたが、この時に一つ大切な事を説明するのを忘れていました。それは「◎各班の班長や副班長になった者はHR役員にはなれない・HR役員は一年で一度しかなれない」という事です。一年時の担任からの情報で、クラス内でリーダーシップを取れる生徒は把握していました。彼らに任せたらいろんな場面でみんなを引っ張ってくれるでしょう。でも、そうすると同じ生徒たちだけが苦労するだろうとも感じました。また周りの生徒たちも「ただリーダーについていく」だけになってしまう可能性もあると思いました。上記の「◎」の考え方なら、少なくとも一年間で全員が何かしら「班やクラス運営に関わる」経験が出来るはず、と思いました。

 

班決めドラフト会議は、ぎこちないながらも何とか進行して六つの班とそれぞれの正副班長が決まりました。次にHR役員決めです。各班の正副班長を除き、1~3学期までの正副HR長・書記男女1名づつ会計男女各1名づつです。これに卒業式実行委員や選挙管理委員も含めると、ほぼ全員が何かの係りをこなす事になります。各班から正副班長を除いた班員が、希望するHR役員を選んでいきます。

うちの学校では4月~6月にかけて遠足・新入生歓迎球技大会・陸上競技大会があります。それらを考えたら、1学期はクラスの雰囲気がある程度作られる大切な時期なので敬遠されるかな?と思いきや案外すんなり決まりました。どちらかといくと2・3学期のクラス役員が敬遠されがちでした。2・3学期のHR役員を決める時、すでに1学期のHR役員になったS(女子・副HR長)が、「先生、1学期にHR役員やったら、2・3学期はHR役員出来ないんですか?」と質問しました。僕はてっきり上記の「◎」を説明したと思いこんでしたので、「うん。出来ないよ」と答えました。3学期までの役員は、

 

1学期の正副HR長→やる気たっぷりの男子&リーダー性あふれる女子

2学期の正副HR長→おとなしいけど、堅実タイプの男子&部活一生懸命女子

3学期の正副HR長→どちらも「貧乏くじを引いてしまった….やりたくないけど、しょうがないからやる」雰囲気の男子YとBの二人組

(でも、3学期にはかなり成長する事になる)

 

といった感じでした。二時間のLHRでなんとか一年間の班と係りが決まり、正直ホッとしました。

 

でも、その日の放課後、役員決めの時に質問したSが教科の準備室に「異議申し立て」にやって来ました。「先生、HR役員は、やる気のある人にやってもらうべきです!3学期はクラスの文集を作ったり、思い出作りとかで忙しいのに、やる気がないYとBに正副HR長は無理だと思います!

私が3学期もクラス役員やります!」と。

僕は、クラス全員が納得した上で決めたと思いこんでいたので、戸惑いました。

丁寧に「①全ての生徒に役割を与える ②一部の人たちだけが苦労しない ③これまでHR役員をやった事がない人にも、あえてさせる事で成長して欲しい・周りの人たちも支えて欲しい」という事を中心に説明したら、納得してくれました。

 

「どんな事でも、全員が納得して承認を取ってから物事を決める」という事の大切さを痛感させられたクラス開きのLHRでした。

次回(4月)は行事について書く予定です。