良質の研究討議空間とブログ空間に感謝     早く東京大会応援ブログに!

2011夏 第49回高生研全国大会 名古屋大会

無事終了。参加者目標達成でき、

ありがとうございました。

8月6日から8日にかけては、本格的な暑さのまっただ中。

大同大学学舎の廊下は30度を下らなかったと思われますが、そんなことをものともしない全国から集まった参加者が大会運営を大きく後押ししてくれました。

宮本みち子さんの講演で始まった初日、基調発題から夜の交流会まで、高生研全国大会の非日常的な学習空間が展開していきました。2日目の分科会は、スタートこそ慌てたものの、軌道に乗ったあとは余裕も出てきました。運営担当者としては、夢心地の時間でした。最終日は大変です。問題別分科会の直後にある「別れの集い」にスライド映像をどう間に合わすか、綱渡りもいいとこでした。出来上がったものは果たして皆さんの目にどう映ったでしょうか?(手直しした映像はこちら。ホントはこうしたかった、トホ

とにかく大同大学の学生さんと全国のみなさんに助けられた名古屋大会です。

<コレ>を次につなげないともったいなくて仕方がないと考えています。<コレ>とは、若い人もベテランもとにかくよってたかって研究協議空間をつくり上げたといことです。1・2人の人間の力技でつくり上げたものではないのです。

なによりもこの応援ブログが、大会の在り様を体現していると思います。何を考え、どんな行動をとるのか。言葉と行動が記されているように思います。

名古屋大会に関する感想やエピソードは、次(来年8月)に行われる東京大会応援ブログに是非たくさん載せていってもらいたいと希望します。

というか、はやくスタートさせましょう。第50回高生研全国大会 東京大会応援ブログを!

高生研全国大会名古屋大会事務局長 安藤 誠也

名古屋大会、交流会ⅠⅡ情報

 アンドウです。

 いよいよ、大会まで2週間を切りました。もう申し込みはお済みでしょうか?

 夏休みに入り、クラブや課外(夏期講座や補習)に追われている方が多いのでしょうか。「震災による遅れを取り戻す」といった流れもあるかも知れません。暑さとは別に、消耗する夏休みにならないことを願うばかりです。そんなときこそ切り替えが大事です。教師自身の英気を養う必要があります。

 民間教育団体の全国大会の目玉はやはり分科会。それを核に大会が構成されます。高生研の全国大会では、問題別分科会と全体会が脇を固めます。全体会の中身は、講演と基調発題。この構成は2005年東京大会以降、高生研があえて選んできた大会内容です。

 そして、もう1つ大切な日程があります。参加者者によってつくられる交流会です。私の感覚では、昼間思いっきり頭を使った分、夜は多くの仲間と語らいゆっくりクールダウンして自分のものにしていく場であるように思います。近年の全国大会交流会は、学習会型内容から、文化探求型、お食事親睦型など、企画発案者によって様々です。単に学習会で終わるだけでなく、そのあと思い思いのグループに分かれて飲みに行くことも多いように思います。

 この名古屋大会の交流会は6日を交流会Ⅰ、7日を交流会Ⅱとして、おもむきを分けて設定しています。

☆8/6交流会Ⅰ 19:00~21:00(各自で夕食を摂って「つどいの館和光」にて)

1.基調を深める    (3階会議室3)

2.原発震災問題を考える(1階大会議室)(定員50)

3.若者交流会(仮)  (2階会議室1)

☆8/7交流会Ⅱ 18:00~     (交流をメインにしたもの中心)

1.東北の仲間に聞く~東日本大震災の現場から~(場所調整中)

2.松下良平さんを囲んで<名古屋コーチン>を (金山:地鶏坊主)

 (時間設定は変更がある場合があります。しおり、大会情宣「ひつまぶし」を確認)

 昨日の記事にある大阪高生研は毎年興味深い交流会企画をやります。今年は、「東北の仲間に聞く」と題し、東北出身の先生から震災以降の現場の様子、悩みや思いなどを語ってもらい、全国の仲間と共有、交流する内容です。(このブログからの発信もあるでしょう)

 大会事務局が企画するものは2つ。「原発震災を考える」と「松下良平さんを囲んで」です。すでに、「原発震災」については中心になる柴原さんがブログに書いています。「松下良平さん」のは、交流会Ⅱに大阪企画だけでは需要が満たされないと奮起して、企画をたちあげました。問題別分科会で報告して頂く松下さんの前泊を、勉強(?)の場に活用し、名古屋飯にもありつこうという一石二鳥の企画です。次の日の打ち合わせをしてから松下さんには駆けつけてもらいますので、名鉄イン金山の直近のお店(地鶏坊主)に18:30スタートを予定しています。

 これ以外にも交流会の企画をまだまだ受け付けます。ぜひ、オープン参加の交流かを企画してください。「交流会があるから、交流会に参加するから、全国大会に参加する」というのも大いにアリだと思います。くれぐれも大会申し込みを忘れずに、交流会に参加してくださいね!

原発の廃絶に向けて~交流会へのお誘いのようなもの

 定年まであと3年あったのですが、この3月で退職しました。早期退職を決断した理由はいくつもありますが、そのひとつは一面から言えば「やるべき事がある」ということであり、他面から言えば「忙しすぎてやるべき事ができない」ということでした。

 大規模進学校での日常は、私には目の回るような思いでした。有り体に言えば、人様のごとく軽々と仕事をこなす能力に欠けていたと言えるでしょうし、あるいは私には合わない職場(人間関係の事ではない)であったとも言えるでしょう。かつて困難校と目される学校で、挫折感もあれば充実感もある手応えのある日々を送りつつ、地域では漁民とともに原発計画に抵抗していたのは、もう20年近く前のことになります。あのころのように身体も精神も動かなくなりつつあるのを感じていました。

 37年におよぶ漁民の戦いによって、11年前に芦浜原発計画は葬り去られました。私もそれまでの17年間、反原発の道を走り続けていたのでした。それからは戦線を縮小し、他県の仲間と協力しながら、原子力政策の転換を求める政策提言を行う仕事を自分に課しました。具体的には、提言の冊子を編集したり、国会議員ニュースを発行したり、会派や議員との交渉と言うロビー活動を行ったりという作業です。まあ、そのお手伝いをしたという程度の事ですが、本務での日々の多忙さは、その作業さえしんどく思わせるものになってゆきました。

 ここ数年の私の意識の中では、刻一刻と大地震による原発の崩壊とこの世のおわりが近づいていました。とくに東海地震の震央にある中部電力の浜岡原子力発電所の事故が最も危惧されました。ただ、念のために申し添えますと、東北の巨大地震による福島第一原発の大惨事によって、地震・津波が引き起こす原発事故ばかりが意識されますが、地震などなくても原発は危険です。スリーマイル島でも、チェルノブイリでも、地震が原因の原発事故ではありません。機械は壊れるものだという平明な事実をみればよいのです。船は沈み、飛行機は落ちるものです。原発だけが絶対安全だなどという事はあり得ないのです。

 原発事故を防ぐ唯一の方法は、原発の廃絶です。仮に事故がないとしても、生み出された放射性廃棄物(死の灰)は100万年にわたって人類を脅かすことになります。このことだけでも、原発は許してはならないのです。

 1986年のチェルノブイリ事故が起きる前、結局のところ人類は大事故が起きなければ目が覚めないのかと私は絶望的な気持ちでした。そして心のどこかで、遥か彼方で原子力事故が起きればいいと自分が思っているのを感じていました。そう思う自分を許していたというべきでしょうか。そして旧ソ連での原子炉の大爆発と炎上。後悔しました。なんという酷い事を自分は願っていたのだろうと慄然としました。フォトジャーナリスト広河隆一さんの決死行によって伝わってくる現地の子供達の惨状によって、さらに打ちのめされました。決して事故を願い事故を待つなどと、人はかりそめにも思ってはならないのです。私は「事故待ち」を捨てました。

 けれども、美浜原発で死傷者のでる事故があろうと、東海村の臨界事故で死者が出ようと、もんじゅが火災事故を起こそうと、日本の原発推進政策は変わりませんでした。自分が思うように動けないまま、その日が来てしまったら悔やんでも悔やみきれない。やるだけのことをやりたい。そう思うようになりました。まだ在職中に、三重県での反原発市民団体(原発おことわり三重の会)の立ち上げに誘われました。いずれ定年退職したら、事務仕事など引き受けねばなるまいと思い、次にはこれも何かの縁であろうと思い始めました。退職した今、その事務局を担当しています。

 退職願を出して約2ヶ月後、福島原発事故が起きました。吹けば飛ぶような私一人の存在などなにほどのことかと、あるいは傲慢に聞こえるかもしれないのですが、フクシマをまのあたりにして、「自分の人生はカスだった」と思ったことでした。約30年、それを課題として生きて来て、結局は成し遂げられなかったのです。私は人生に失敗したのです。泣けてきました。すべては手遅れとなったのでした。二度と繰り返してはならないチェルノブイリを、繰り返してしまったのです。今も心の整理がついたわけではありません。先日、原発の学習会で、参加者から「どうやって原発を止めたらよいのですか」と問われて、つい「私はそのことに失敗した人間なのです。私に問わないでください」と答えてしまいました。

 ことここにいたっても、この国は目を覚ましません。いまだに原発が稼働し続けるこの現実が私には信じられない思いです。愚かな大人達によって子供達は日々放射線に曝されています。フクシマの放射能がない場所はもうありません。そのような世界を私たちは生きてゆかねばなりません。せめてこれ以上の放射能を生み出さないように、これ以上放射能汚染を増やさないように、原発廃絶という仕事はまだ残されています。

 夜間定時制高校に勤めたときに、同僚の一人が愛知の私学フェスティバルに学んで、学校の枠を超えた生徒の人権文化活動組織を構想し提起し、その立ち上げに関わりました。今も続いている「南勢地区人権を考える高校生文化フェスティバル」です。95年の事でした。同僚3人でその指導に当たりました。第1期生で実行委員会のリーダーであったAさんは、今、おことわりの会の一員として、福島の子供達の放射能疎開を支援する活動の中心にいて、毎日のように連絡を取り合っています。最後の職場でフェスティバル実行委員として出会ったBさんは、今学業を続けながら、やはり会員として行動し、会報の編集を担っています。被曝している子供達を短期間でも伊勢に招こうとAさんが招集した会議が、明日伊勢で開かれます。定時制時代の指導者3人のひとりが出席してくれるのだとAさんが嬉しい連絡をくれました。AさんやBさんといま共に行動できるこの縁をありがたいと思う私がいます。

 さて、なぜこの拙文を書き出したか、うっかりわすれるところでした。大会の1日目(8月6日)の夜の交流会で原子力発電の入門講座のようなことをやります。いまのところ京大原子炉実験所助教の小出裕章さんのインタビュー映画「福島原発で何が起こっているのか①」を1時間上映し、そのあと私が参加者の質問に答える形で進めるつもりでいます。どんな質問でもOKという前提でやります。忙しくて原発の事をゆっくり調べたり、考えたりする時間が持てない方々は、ぜひこの機会をご利用ください。

                                   6月17日 柴原洋一(無職)

名古屋・近郊 観光スポット紹介

 高校現役を退いて、もう4年余り、おかげで、高校教育現場的発想で書くことがすっかりできなくなってしまいました。

 新聞紙上などでは、このところ「君が代」斉唱問題が盛んに報じられています。大阪府議会が、「君が代起立条例」を可決したとか、橋下府知事が、この件で懲戒免職処分を含む「処分基準条例」を9月府議会で制定する意向だとか、最高裁が「君が代処分合憲判決」を出したとか、とても気がかりな動向です。でも、この問題では、いわば当事者の方もおられると思いますので、私があえて論評すべきことでもないか、と思ってしまいます。(非常勤を務めている大学の講義では、学生のみなさんにできるだけ正確な情報やその見方を話していかなければ、と思っています。)

 そんなわけで、今回もまた、「閑話休題」ですが、素人考えによる、「名古屋・近郊観光スポット」を少し紹介したいと思います。

 大阪高生研の「アフター・ツアー 世界遺産 白川郷の旅」素晴らしいですね。合掌造りを満喫された後は、時間があれば「高山市内見学」とか、「奥飛騨温泉郷」でもう1泊、ロープウェイで西穂高中腹まで登るとか、「乗鞍山頂へ行く」とか、「安房トンネル」を通って上高地まで行ってみるとか、周辺にも魅力的なところがいっぱいあります。よい旅をなさってください。

 ところで、「名古屋観光スポット」 まず、名古屋は初めてという方には、必須の場所は「名古屋城」です。大同大学からは、名鉄電車で金山へ、ここで地下鉄に乗り換えて、「市役所前」下車、徒歩10分ほどで名古屋城です。ほぼ、年中無休ですので、8月8日(月)午後でも、十分見ることができます。元の天守閣は「金の鯱鉾」もろとも、空襲で焼けおちてしまいました。今あるのは戦後つくられたものですが、「鯱鉾」も立派に復元されています。中はゆかりの美術品の展示場で、なかなか素晴らしいです。域内では、「本丸御殿再

建工事」が進行中、天守閣は「コンクリート製・エレベーター付き」ですが、「本丸御殿」は木造で、かつての姿を忠実に復元するようです。

 名古屋城の後は、地下鉄で2区、栄へ戻って、「テレビ塔」に登るのもいいかもしれません。展望台からは名古屋の全域が眺望できます。「後泊」される方は、テレビ等から夜景を楽しむというのもあります。「節電」でやや暗いかもしれませんが・・・。

「栄」のついでですが、名古屋は地下街も有名、「栄」と「名古屋駅」にかなりの規模の地下街があります。ショッピングもいいのですが、代表的な名古屋めし「味噌煮込みうどん」(山本屋)や、ちょっと「お茶する」にもいいです。私が時々行く喫茶店は「コンパル」という店ですが、「小倉トースト」なるものがあります。トーストの上に餡を乗せただけのシンプルな食べ物ですが、妙においしいのです。

「東山動植物園」や、「名古屋港水族館」も見る価値ありと思いますが、動植物園は月曜日休館、翌日でないと入れません。水族館は夏休み期間中無休です。開館時間も夜8時まで、金山から地下鉄で終点「名古屋港」までいけば徒歩5分ほどです。最高の呼び物は「しゃち」でしたが、メスの「ナミ」が、今年1月に死んでしまい、今はレプリカしかありません。名古屋港水族館はウミガメの研究で有名です。

 ウミガメと言えば、知多半島の先端近く、名鉄電車の知多新線・知多奥田駅(日本福祉大学・同付属高校の最寄り駅)を降りて徒歩15分ほどのところに、「南知多ビーチランド」という水族館があり、ここでもウミガメの飼育や、人工孵化を行っています。知多半島や渥美半島にはアカウミガメが産卵する浜があり、ちょうど今頃が産卵時期です。夏には人工孵化でかえった子ガメを放流しています。なお、近くに「杉本健吉美術館」(美浜緑苑駅下車)もあります。

 最近話題の博物館を2つ紹介します。一つは今年3月にJR東海が開館した「リニア・鉄道観」(名古屋駅からあおなみ線という鉄道に乗って終点の金城ふ頭駅で降りて徒歩2分、火曜日休館)です。蒸気機関車・新幹線電車・超電導リニアの実物や、鉄道ジオラマなどが展示されていて、鉄道ファンには見逃せない施設かもしれません。

 もう一つは「名古屋市科学館」(金山から地下鉄で栄へ、ここで乗り換えて名古屋駅方向へ1区、伏見で降りるとすぐ)です。最新・最大のプラネタリウム「ブラザーアール」が、公開されています。

 「科学館」の隣が「名古屋市美術館」です。9月4日まで「レンブラント 光の探求 闇の誘惑」という企画展を行っています。ほぼ同時開催で、「豊田市美術館」(豊田市)で、「フェルメール『地理学者』とオランダ・フランドル絵画展」を開催しています。

 ついでに名古屋・近郊の美術館ですが、栄には「愛知県美術館」が、その少し南には「松坂屋美術館」(百貨店松坂屋南館)があります。松坂屋美術館は8月7日まで、「昭和・メモリアル 与勇輝 展」ですが、県美術館は「福島原発事故」の「風評被害」というべきか(外国からの作品搬入が不可能になった)、8月に予定していた企画展が開催できなくなってしまいました。

 東区には、「徳川美術館」(JR中央線 大曽根駅から徒歩約15分)という、ややユニークな美術館があります。金の「茶室」とか、尾張徳川家に伝わる数多くの「宝物」が所蔵・展示されていますが、最高は「源氏物語絵巻」です。ただしこの本物は季節限定でしか見ることができません。毎年、秋です。

 その他小さな美術館ですが、地下鉄池下駅の近くに「古川美術館」というのがあります。その筋向いに「古川為三郎記念館」という邸宅と日本庭園が公開されています。市内とは思えないほど静かでゆったりとした空間です。

 愛知県には、「メナード美術館」(小牧市)、「荻須高徳美術館」(清須市)、「三岸節子美術館」(一宮市)などもあります。

 愛知県内有数の観光地は、木曽川沿いの犬山市(全国学力・学習状況調査不参加でもよく知られた)です。国宝犬山城、国宝茶室有楽苑・如庵、木曽川うかい、街角の散策路、犬山モンキーパーク(京大霊長類研究所)、近くに明治村、リトルワールドなど、観光スポットが数多くあります。犬山城へ行くには名鉄電車犬山線で、犬山遊園下車が便利です。明治村もお薦めですが、名鉄犬山駅からバスに乗り継ぎます(本数は一時間に2本ほど)。名古屋駅バスセンターから直通バスも出ていますが、本数が少ないので要注意です。

「観光スポット」と言いながら、美術館が多くを占めてしまいました。私の好み中心で、申し訳ありません。

柴田順三   

「経営品質と教師の仕事の困難」をテーマに、研究集会6月18・19日

 三重高生研の第31回研究集会(6月18・19日、アスト津・三重県)をPRします。

 テーマは『経営品質と教師の仕事の困難』

 三重高生研では、昨年の東海ブロックゼミを行うにあたり、「教師の仕事と職業教育」というテーマで熊沢誠さんを招聘しました。静岡高生研がテープ起こしをして、その講演の内容は高生研の中でもかなり知られるものとなっています。詳しい内容はここでは触れませんが、「教師は今や未組織労働者であると言えます」という言葉が、印象に残っています。

 なぜ、三重高生研が「教師の仕事」というものに着目しているのか?

 理由は、三重高生研に関わる教師に早期退職や病気休養をとるケースが増えていることがあります。高生研の教師だからこそ教師という仕事に対してもクランクに対峙できると分析できるかも知れませんが、体調を崩してしまったり、先の見通しなく辞めてしまうのはそれにはあたりません。おそらくは、三重に限定される状況ではないはずですが、その現実をどうとらえるかは、直面する課題なのです。

 今回の講演者として、学校の経営を率先して進めてこられた方に来て頂きます。進学校で取り組まれたその進路指導の取り組みは、いまや三重県下の進学校に影響しています。「三重県型学校経営品質」というものが県教委主導で進められおり、その功罪も気になるところです。三重高生研としてこの学校の経営に関わる問題を検証すべき対象だと考えました。

 案内についてはこちら

 日程2日目には、名古屋大会基調発題「実践記録を書くことの意味」を本格的に議論します。もちろん、執筆者の船橋さんにも来て頂きます。「教師の仕事」に絡めて、議論したいというのが三重のアプローチの仕方です。

 アンドウ@みえ 

 

全国大会を哲学<その1>開催地を自由に発想する

アンドウです。

このブログで週一、日曜日の担当になっています。毎週となると、私が記事を書き続けるかは分かりませんが、「現地より」としてお付き合いよろしくお願いします。

前回、名古屋弁のタイトルにについて説明しましたが、少し間違い(付け加え)があることに気づきました。名古屋弁の「ちゃっと」には、「急いで」という意味もあるのです。「チャチャチャと物事を済ます」の、「チャッと」の意味です。

「何?そんなに急がないといけないの?」と言われそうですが、ブログともども、ぼちぼち行きたいと思います。ご心配なく。

今回から、大会事務局長として高生研の全国大会を「哲学」していることを連載していきたいと思います。哲学といっても、確信に至ることは伝えられないかも知れません。それでも、曲がり角に来ている高生研として全国大会を今後考えていく上で、多少言葉に残しておく価値があるのではないかという考えがあってのことです。

まず、全国大会の開催形式について。

高生研は、その昔(約50年前?!)、全生研の大会から分かれて開催する経緯をたどってきたわけですが、その頃の大会の形式は基本的に大きな人数を受け入れ可能な温泉地などの観光宿泊施設で行われることがほとんどでした。高生研も全国各地で大会が行われ、その多くが温泉地などのホテルで行われていました。しかし、この場合、参加申し込みと同時に宿泊施設の申し込みも行うことになり、大会申し込み受付の負担は尋常なモノではありません。旅行会社を通す方法もとられていたとは思いますが、大会予算の切り盛りを考えると、業者任せというわけにはいかなかっただろうと想像します。

そこで打ち出されたのが、宿泊施設を大会参加者自らで予約する「都市型大会」です。都市で大会を行うと宿泊施設はいくらでも確保できます。安い宿を押さえてもいいし、この時ばかりはと、奮発してもかまいません。そんな「都市型大会」が、高生研で正式に実施されたのは2005年の東京大会でした。

その後、熊本、青森、大阪、札幌と5年間でほとんどが、都市方大会として行われてきました。

ここで見ておきたいのは、東京大会の翌年、滋賀の大会です。「おごと温泉」で行われた大会ではありましたが、京都や大津にかなり近いのでその意味では日帰りで参加した人も多かったのではないでしょうか。現に、隣に位置する三重県から日帰りで参加する人が複数いました。温泉地で行われましたが、都市型の性質を併せ持つ開催地であったように思います。

参加者が求める全国大会の開催場所は、2種類に分かれるのではないでしょうか。1つは、行きやすくて、気楽に宿が取れる都市型。そしてもう1つは、移動なしの会場と宿泊一体型(ホテル旅館型)。後者の魅力は、朝から晩までゆっくりたっぷり学習ができるというもので、一昔前の主流だったもの。全国大会を「特別」と割り切って考えるのであれば、今も魅力はあります。しかし、参加者の多様なニーズがあるのは事実。昔のように「大会はあの旅館でやるしかない」という勢いにはなりません。また、時代を生き残っていくために旅館ホテルの経営も一筋縄でいかないと思います。大きな旅館やホテルといった施設は減っているのではないでしょうか。

やむなく、都市型大会を指向せざるを得ない状況となるのです。

それでも、こんなことを考えてしまいます。

「都市近郊温泉地開催、宿泊は各自で!」

その意味で、2006年の滋賀大会は、都市型大会の狭間で行われた、ちょっとヒントになる大会だったのかも知れませんね。

次回、開催地にからむ大会運営の自立と依存を書きたいと思います。